大学入学まで「カバディ」を全く知らなかった
最大のピンチは人生初の大けが
カバディをメジャースポーツに!
カバディというスポーツをご存じだろうか。
インドから発祥したインドの国技であり、主に南アジアでおこなわれるチームスポーツだ。
よく、「ドッヂボール」と「鬼ごっこ」を合わせたようなスポーツ、と表現されるがそれだけではなく、時には激しくぶつかる格闘技のような一面もある。
本日登場するのは、その日本代表の主将を務めるスゴい人!
彼は本場インドで2014年から始まったプロリーグにも3シーズン出場し、日本での競技普及に尽力している。
彼の想いを聞かせていただこう。
さあ…
カバディ
日本代表主将 下川 正將様の登場です!
大学入学まで「カバディ」を全く知らなかった
小学生の頃はサッカー、器械体操、水泳、野球など色々やっていました。
中学から野球を始め、高校は硬式野球部で、野球一本で過ごしましたが、大学以降はスポーツで本気でやっていこうとは思っていませんでした。
大正大学に入学して、大学にカバディ部があることも、カバディそのものも知らず、部活紹介で見ても最初は全く興味を持ちませんでした。
新入生歓迎会が無料だったので軽い気持ちで行くと、先輩がとてもいい方々だったので1回だけ見学行くことに。
そこで体験したらハマってしまったんです。
カバディは、タッチして逃げる、捕まえるなど、誰でもできるものですが、簡単だろうとナメてかかるとうまく行かず、ムキになってやっていくうちにハマっちゃいましたね。
自ら志願して代表練習に参加
負けず嫌いな性格もあり、最初は代表など意識していませんでしたが、強くなりたい、上手くなりたいという想いで夢中になりました。
部活を週4日、代表候補練習にも参加させてもらうようになってから、はほぼ毎日カバディをしていました。
日本代表には大正大学のOBも多く、練習場所も一緒で、代表選手から指導を受けたり交流も多くありました。
国際大会の時に、普段一緒にいる方々が日の丸を背負って闘っている姿を見て憧れが芽生え、自分も一緒に練習したいと志願して、そこから代表になるという想いは出てきました。
最大のピンチは人生初の大けが
大学2年生の時に足を骨折しまして、しばらく競技から離れていました。
全日本大会1か月前の練習試合の中で骨折したのですが、人生初の大けがで何もできませんでした。
全日本大会で結果を残したいと思っていたので、一度は心が折れてしまいましたが、どこか諦められない思いがあり「今しかできないことをやろう」と切り替えました。
また、けがをした人の気持ちもわかるようになりましたし、今ではすごくいい経験だったと思えるようになりましたね。
運よく復帰直後に20歳以下のカバディの国際大会に日本が初参加することになり、キャプテンで行かせていただくことが決まりました。
ジュニアですが、代表の公式戦デビューはこの時です。
悔しさが、社会人でも競技を続ける原動力に
大学4年生の時にカバディ界のオリンピックのような位置づけにある、アジア競技大会があり、勿論の代表に入りたくて、候補として遠征にも参加していました。
ところが代表メンバー発表の時に外れてしまいました。
「最後まで入れ替えはある」と言われたものの、誰よりも練習に出てやっていたつもりだったのにダメで、「なんのためにやってきたんだろう」と心が折れそうになりました。
しかし、父から「可能性があるなら諦めないでやってほしい」と言われ、再び一生懸命取り組んでいると、最後に入れ替えがあり、アジア大会に行けることになったんです。
結果、日本代表は銅メダルを獲得したのですが、私はその時ベンチで。
喜びながらも、自分で獲った想いがほとんどなく、自分の中では悔しい想いが大きくて、「自分が出て、自分が中心で獲りたい」と思い、社会人になっても絶対競技をやろうと決めました。
カバディを続けるという前提で就職活動をして、築地のお店に就職。
店長もカバディの大会に来てくれて、すごく応援してくれるようになって、遠征があっても快く行かせてくださり、職場の方に恵まれていたと思います。
インド・プロリーグの挑戦
2014年からインドにプロリーグができ、トッププレーヤーが集まることに魅力を感じ、「仕事を辞めてでも行きたいです」と懇願して協会に推薦してもらい、ムンバイのチームに所属。3シーズン戦いました。
見たことも無い世界で、演出があり、観客が大勢いて、テレビ放送されて、夢のようでした。
最初は圧倒されていたのは確かですが、実力が欠けていて試合にもなかなか出られず、普段の練習からインド人にバカにされたり。
力が及ばず、悔しさや、もやもや感が大きかったですね。
「このままじゃダメだ」と感じました。
最初に行ったときはキャプテンにもなる前で、個人で活躍したいという想いが強かったです。
しかし、インドで悔しい経験をして、キャプテンになってからは日本代表として国際大会でインドやイランなど強豪国と戦って勝とうと気持ちが変わりました。
日本チームとして物事を考えるようになりましたね。
感謝の気持ちを持ち、高いレベルの人を意識する
日頃心がけているのは、応援してくれる方、支えてくれる方への感謝の気持ちを忘れないこと。
自分だけでなく、みんなでやっていると考え、その人たちのためにも絶対に結果を残そうと思っています。
最初は家族もカバディに対してあまり興味を示さなかったのですが、毎日カバディをやっている姿を見て試合に来てくれて。
それからはすごく応援してくれて、大会にも、海外にも家族で来てくれたり、職場や友達にも話してくれたり、すごく応援してくれているので、更にやる気が高まります。
また、常に自分よりももっと高いレベルの人を意識しています。
ジャンルは問いません。
自分が一番だと思うことも大切かもしれませんが、努力の面では自分の視点だけで見てしまうと、そこで満足したら終わってしまいます。
視野を広げてみると、もっと努力していて、結果を出している人は世界にたくさんいるので、もっとやらなきゃ、もっとできるはずだと自分を奮い立たせることができます。
特に私は、同学年の人たちの活躍ぶりなどは気になります。
カバディをメジャースポーツに!
今後は2018年にジャカルタでアジア競技大会があるので、そこで必ずメダルを獲る事が直近の目標です。
個人的にはプロカバディに何もできなかったという想いが残っているので、プロカバディで活躍したいとも思っています。
今は大学卒業と同時にカバディを辞める人も多く、代表メンバーの入れ替わりも激しくて、若手中心です。
まだカバディの社会的な認知度もなく、大会で結果を残しても自己満足で終わってしまうので、社会的な認知度や評価も上がり、卒業してもカバディをやりたいと思えるようなものを作りたいと思っています。
可能性は無限大です。
カバディを誰でも知っているスポーツにする!
企業や地域、応援してもらえる環境、カバディができる環境を整えていけたらなと思いますね。
まだまだ、やる事は尽きないほどあると思います。
代表としていつまでできるかわかりませんし、決めていませんが、普及は一生やっていきたいと思います。
取材を終えて
「カバディ」という名前は聞いたことがありましたが、今回取材させていただくにあたり、初めてルールや試合映像を見ました。
映像で見ると、想像していたよりもスピード感があり、激しいイメージ。
ほんの一瞬で点数が入るので、目を離せません。
ぜひ実際の試合を生で観てみたいと思いました。
最近では漫画『灼熱カバディ』の人気も手伝って、高校生など若い人も興味をもって体験会に参加したり、カバディのやり方を尋ねてこられるそうです。
この機に競技人口が増え、全国どこでもカバディを楽しめるようになることを期待しています。
同年代ということもあり、とてもいい刺激をいただきました。
これからもご活躍楽しみにしています!
プロフィール
下川 正將(しもかわ・まさゆき)
カバディ日本代表主将
2007年、大学1年でカバディ競技と出合い、その奥深さに魅了されて、世界で戦う日本代表目標に本格的に競技開始。2009年に憧れだった日本代表に初選出されて、同年U-20アジア選手権でジュニア日本代表キャプテンと成る。2010アジア競技大会(広州)では、日本カバディ界初の銅メダルを獲得。2012年から全日本大会は4連覇。2014年10月から、シニアの日本代表キャプテンに就任。
又、2014年にはカバディ発祥国インドで初設立されたプロリーグに、日本人初のプロカバディストとして参戦(2014~2016年、ムンバイ市のUMUMBA所属)。2015年には日本人唯一のプロカバディリーグ覇者となる。現在の競技目標は2018アジア競技大会(ジャカルタ)での金メダル初獲得。このメダルは強さを誇る為ではなく、競技普及のきっかけにする為と位置付ける。これまでのカバディ先輩達が大学卒業と共に引退したり、休日練習のみのアマチュア愛好といったマイナーの実情を変革し、競技普及と競技専念生活を目指す(現在は営業職と競技生活の掛け持ち)。
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