兄への応援歌が、九州の応援歌に。多くの方が認めるスゴい人!

子どもの頃からの憧れの人がまさか!!

この苦労は絶対に報われる

またもやまさかの出逢い!!

熊本復興の応援歌にもなっている「いま、太陽に向かって咲く花」という曲をご存知だろうか?
今年の「日本有線大賞」新人賞を受賞し、更には「日本レコード大賞」新人賞を受賞した!
彼は一度、2012年にメジャーデビューしたが、2年間という短い期間で契約を解除されていた。
その後、3年の月日を経て2017年3月に再デビューを果たした!
再デビューしたその年にミュージシャンの憧れの賞を何故2つも手にすることができたのだろうか?
そして、今日の記事を読んだ後に「いま、太陽に向かって咲く花」を聴いて欲しい。
きっと勇気を貰えることだろう。

さあ…
NOBU 様の登場です!

小学校4年生でバンド結成

5歳からピアノを習っていたのですが、クラッシックだったので全く興味はなく嫌々でした。
小学校3年生の頃、押し入れを開けたらギターがあったんです。
父に「これはなに?」と聞くと「やっと見つけたか。見つけるのを待っていたんだ」と兄弟でベンチャーズを教えてもらったんです。
音楽は無理やりやらせるのではなく興味を持ったら教えようと思っていたそうで、それがきっかけで僕らはギターの魅力にハマって行きました。
兄がHi-STANDARDのファンでもあり、同じ3人組だったので兄二人とバンドを結成したのが4年生の時。
6年生からオーディションに出始め、中学1年生の時にオリジナル曲を作り出すと、その姿を見ていた両親は「そこまでやるんだったら突っ走れ!」って言ってくれたんです。

兄と共に学びソロへ

「普通の高校はいきなさんな。音楽の学校に行きなさい」と母が言ってくれ、兄と同じ福岡の専門学校へ行きました。
僕は高校の卒業資格も取れるコースです。
九州大会で優勝して全国大会にも行ったりしたのですが、やはり兄弟なので音楽と関係ない所で喧嘩もしてしまい、兄が就職活動をはじめ時間も合わなくなり、18歳の時にソロでやる決意をしたんです。
周りからは「この時代、絶対にソロでは売れない」とバカにされました。
でも僕は逆に1人だからこそ伝えられるものがあると思っていたんです。
全てを1人でこなさないとならない。
ソロになって兄の偉大さも知りましたね。
20歳の時に出たオーディションで、僕以外はグループだったのですが、全国で初めて1位を獲ることができたんです。
虐められたり、バカにされたり、苦しく辛いこともあり、孤独感に押しつぶされそうになった時もありましたが、報われた瞬間でした。

子どもの頃からの憧れの人がまさか!!

バンドのサポートで東京に来た帰り、神奈川に住んでいた友だちとご飯を食べ、ちょっと路上ライブでもしようかって大船駅前でやったんです。
そうしたら「君、いい声をしているね。時間ある?BBQしているから来なよ」と声を掛けて頂きBBQ会場で「君のうたを聞かせてよ」と。
ずっと目を瞑りながら聴いてくれ「いいね!いいね!ちょっと曲を作ろうよ」と紙とペンを持ってきて二人で曲を作ることに。
ちょっと歌ってもらっていいですか?ってその人の歌を聞いた瞬間、「あれ?どっかで聴いたことある声?ここ神奈川だしありえるぞ」と思い、勇気を出して「湘南乃風のHAN-KUNに似ていますね」と言うと周りは大笑い。
「HAN-KUNだよ、俺」と。
まさかのご本人だったんです!
そこからHAN-KUNさんと交流が始まり2012年の初デビューは湘南乃風のプロデューサーを紹介してもらった事がきっかけでした。

この苦労は絶対に報われる

デビュー当初はテレビ・ラジオにも出演させて頂いたのですが、1年を過ぎた頃から仕事も減り、こんなんでいいのかな?と思っていた矢先の解約通知でした。
その時にやっと過去を振り返れたんです。
メジャーデビュー前はストイックに200曲近く曲を作っていたのですが、デビューした後は10曲程度しか作っていなかったんです。
全然本気じゃなく、甘かったと。
ストイックさが無くなり、こなしているだけで全く輝いていなかったんだと気づきました。
その日はスゴく落ち込みました
でも翌日には決意新たに、お世話になったオーガナイザーさんに自ら連絡をとり「ギャラは要らないのでイベントに出して下さい」と連絡を入れ、全国行脚を始めました。
未来を思うと不安だらけなので「明日こそスゴいプロデューサーと出会えるかもしれない」と明日だけ信じ、イベントに出続けました。
生活費を稼ぐために居酒屋でバイトもしました。
本当に切なくて辛かったですが、いつかまたデビューできた時に、この体験や気持ちを歌う時に思い出し、誰かに語れる日が来ると信じるだけ。
バイトは最低限にし、音楽に時間を割きたいと思い、生活は切り詰め貧乏生活でした。
イベントもノーギャラ、行き帰りの交通費だけ交渉し、貰えたらラッキーって感じです。

またもやまさかの出逢い!!

友達の先輩に「うちの母親がNOBUのファンだから会ってくれない?」と言われ自宅に行くと相撲部屋だったんです。
「いい曲ね。貴方の歌、最高だよ!何かあったらおばちゃんに言ってきなさいね」と言ってくれたのが、高田みづえさんだったんです。
暫く経って、みづえさんと再開した時に「最近どう?」と聞いてくれたので「来年30歳になるのですが、誰もがわかる結果を出さないと僕を信じてくれている両親に失礼だと思っているんですが、ちょっとヤバイです」と話すと、その半年後に関係者の皆さんを紹介して頂いたのです。
本当に全ては人のご縁です。

いま、太陽に向かって咲く花

この曲は自分を励ます上でも必ず歌って来ました。
元はバンドを解散してから不仲になってしまった兄に向けて作った歌なんです。
小さい頃、音楽も趣味も全部兄の影響を受けて育ち、今の自分があるのは兄のお陰なので兄に送る手紙として書きました。
あるフェスを家族が観に来て兄はこの曲を聞き、涙を流してくれたんです。
楽屋で泣きながら兄と握手し、やっと仲直りできました。
そして、熊本震災後にサッカーチームにオファーを頂き、いつものようにノーギャラで気持ちを込めて歌わせて頂いていると涙を流しながらこの曲を聞いてくれたんです。
「グラウンドが地震でぐちゃぐちゃになっても、この歌を聞いて頑張ってきたんです」と言ってくれ、この歌は僕が苦しい状況でもこうやって生き続けていたんだなと僕も感動したんです。

2度目のメジャーデビューで決心

どんなに些細な事でも自分の意見はしっかりと周りに伝え、こなすことの無いようにしています。
晴れた日は必ず散歩をしてギター片手に公園で曲作りをしています。
ストイックに曲作りをしている時が、僕らしく輝いている時でもあります。
曲はイメージして目をつぶった時に聞こえる音楽をボイスメモに吹き込みます。
ボイスメモには数千ものデータが入っています。
そして大きな舞台が決まった今でもできることはないかと考えてみたら、今こそ原点回帰が必要だと、ゲリラ的な路上ライブをまた始めました。
売れていないミュージシャンが歌っているという目で見て通り過ぎてくれる人にこそ、自分の歌が届くよう思いを込めて歌っています。
色々とありましたが僕はいま、皆様のご縁のお陰でここにいる事に心から感謝しています。
人は必ず1人になる瞬間があります。
挫折や失恋、そんな時に元気や勇気を与えられる歌をこれからも歌い続けてゆきます。

取材を終えて

実は解約後に家中、お金がないか探し引き出しの中からあるモノを発見したと。
それはデビューしていた2年間、全く忘れていた印税の申請書。
急いで申請し、3ヶ月後に振り込まれた時にATMの前で安堵と共に座り込んだそうだ。
きっとデビュー中に手にしていたら使ってしまっていただろう。
人との強い縁とこのような天からの授かりものの様な現象はきっと、NOBUさんが更に人間的な魅力を増すためのGiftだったのかもしれない。
再デビュー後にご両親から「再デビューって何?」と電話があったそうだ。
この様なエピソードもNOBUさんの優しい一面と絶対にまた復活してやるという
覚悟だったのだろう。

プロフィール

NOBU
シンガーソングライター
1988年生まれ、宮崎県小林市出身
5歳からピアノを習い始め、1997年に兄弟とバンドを結成。まだ9歳だった彼はドラムを担当。その後バンド活動を続ける一方で14歳から作詞作曲をはじめ18歳の時にバンドは解散し、ソロのシンガーソングライターとしての活動を開始。2012年アルバム「POWER TO THE PEOPLE!!!」でメジャーデビュー。2014年メジャーレーベルとの契約解除、熊本の震災など、多くの動機が重なり「いま、太陽に向かって咲く花」の制作に入る。2017年7月、この曲が再びメジャーリリースシングルとなり、広く歌い伝える。

◆NOBU OFFICIAL SITE http://nobupeacemusic.com/
◆Amazonアーティストページ http://amzn.to/2qOBtVj 

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