スポーツ漫画でヒットを連発するスゴい人!

「中原裕」誕生

浦沢直樹との邂逅

打ち切り続きからの脱却

元暴走族の少年が剛腕投手となる初連載作品、『ぶっちぎり』はアニメ化、駅伝・マラソンなど陸上競技の世界を描いた『奈緒子』は上野樹里・三浦春馬主演で映画化。
10年にわたり連載された、監督が主人公の異色高校野球漫画『ラストイニング』は、作中の試合を実況中継として再現したラジオ番組がギャラクシー賞優秀賞を受賞した。
スポーツ作品を中心にヒットを連発する漫画家は、実は幼馴染二人のユニットだ。
彼らはどのように創作の世界に入って行ったのか。

さあ…
漫画家
中原 裕(中澤 秀樹)様の登場です!

相棒との出会い

早生まれなので、小さい頃は他の子と比べると体格的にも差があるし、親は心配だったようです。
褒められたのが嬉しくて続けていたんでしょうが、チラシの裏に絵を描くのが好きでした。
内面的には、ちょっとずる賢いところもあったかな。
一つ覚えているのが、年長の連中ともめた思い出。
詳細は忘れましたが、何かを「お前がやったのか」と問い詰められ、「おれじゃない」と言い張った事があって。
「お前じゃないな、嘘をつくと顔に出るんだ」と許されたんですが、本当は僕がやったんです(笑)
こいつらちょろいなぁ、なんて思いました。
小学校の頃は勉強もそんなに好きじゃないし、スポーツも一通りこなすくらいで、まぁ普通の子でしたね。
チラシ裏の落書きは、怪獣や『ウルトラマン』から、漫画やアニメの模写に変わっていきました。
小3の時の『タイガーマスク』から『あしたのジョー』『巨人の星』と、梶原一騎作品を追いかけて、真似はできないけれど「これこそ男だ」という、主人公たちの生き様は胸に刻まれた。
小4で転校した学校の同じクラスに、中原裕の相方・田島裕之が居たんです。
僕は学校で絵が上手いとは言われるんですが、必ず上手がいて一番にはなれなくて。
この時も田島が一番(笑)
仲良くなって、家に遊びに行くようになりました。
彼の弟、田島昭宇も漫画家です。
年は三つ四つ違うんですが、彼が漫画家になるとは思わなかったし、目指しているとも知らなかったなぁ。

「中原裕」誕生

高2の時、田島ともう一人の仲間の原君と、3人で漫画賞に応募することになりました。
内容は彼らが好きだった、ほぼ少女漫画みたいなラブコメ。
溜まり場だった田島の家で、原君はストーリー、僕と田島がネーム(漫画の設計図のようなもの)と原稿を、こっちはお前だ、そっちは僕だと、二人で描くという。
ほぼ遊びだから、ふざけ合いながらで、ネームが出来上がっても筋が全然わからない(笑)
ペン入れもしたんですが、完成しなくて応募できなかった。
この時、三人の名前から一文字ずつとって「中原裕」というペンネームが生まれました。

持ち込みからアシスタントに

次は赤塚賞に出そうと、ギャグマンガを描いた…はずですが、内容は忘れました。
その作品を持ち込みしたんです。
アポなしで集英社に行ってみたら、皆さん忙しくて対応してくれる方がいなかった。
埼玉の戸田から出てきているんで、そのまま諦めたくなくて。
当時はセキュリティも甘かったですから、受付を通ってしまえば何とかなると。
エレベーターの位置を確かめて、受付前をダッと駆け抜けた。
編集部に入って一番近くの人に「持ち込みです!」と原稿を渡したんです。
そうしたら、いきなり鰻屋さんに連れて行ってくれて。
漫画の反応は鰻のインパクトで覚えていないんですけど(笑)
それが当時「週刊ヤングジャンプ」創刊準備中だった、大門さん。
「取りあえず賞に出しておく」と、そこから連絡を下さるようになって。
ヤンジャンが創刊されて『わたしの沖田くん』のアシスタントに誘われ、田島と二人で野部利雄先生の所へ通うようになりました。

浦沢直樹との邂逅

高校を卒業したらデビューする予定が、結局東京の専門学校へ。
長期休暇ごとに手伝いを続け、卒業してからアシスタントとなりました。
野部プロに浦沢直樹さんが、ちょっとだけアシスタントに来ていた事があるんです。
その作品は僕の知らない世界観で、「何だろう、これは?」と衝撃でした。
仕事が朝方終わり、始発まで時間を潰そうとお話ししたら、もう面白くて魅力的で。
その日から浦沢信者(笑)
浦沢さんはその直後『BETA』でデビューされました。
僕は自分の漫画を描けていない時期が続いていました。
4~5日机に向かった後帰宅しても、もう漫画なんて描きたくないんですよ。
それで一ヶ月暇をもらって『リョウ』を描いたんですが、入選したのに、ページ数の関係で本誌に掲載されなかった。
諦めかかっていた時、江口寿史さんが原稿を落として、急遽掲載が決まったんです(笑)
その後、野部プロは辞めたものの全然仕事がこなくて、浦沢さんを手伝っていました。

連載デビュー

浦沢さんの勧めもあって、バンド漫画を描きあげて小学館に郵送しました。
お世話になった担当さんに罪悪感もありましたが、全く仕事が無くて。
賞なんて二の次で、誰かに目をつけてもらいたい一心でした。
思惑通り連絡をいただいて、ここは勝負どころだと、次作の野球漫画を持って行きました。
バンド漫画は新人コミック大賞に入選し、次の野球漫画も前後編で決定、次には「週刊少年サンデー」連載を、とトントン拍子に決まっていって。
1年で30ページしか描いてこなかったのに、突然4週連続30ページ描くことに(笑)
田島がいなかったら、無理でした。
初連載の『ぶっちぎり』には、バイクが多数登場するんですが、全部田島が描いています。

打ち切り続きからの脱却

初連載終了後も、連載は次々に決まりましたが、一年で打ち切りが続きました。
少年誌に合わなくなっているのかと考えている頃、担当が青年誌に移る事になって、一緒に行く事に。
「ビッグコミックスピリッツ」での連載『奈緒子』は、編集部の要望にも応える形で、絵から何から全部変えたんです。
長期連載となり、映画化もされ、幸せな作品になりました。
映画は好きにやってください、とお話ししたんですが、僕は結構気に入っていますよ。
映像化には賛否両論あるかもしれませんが、一つの夢が叶ったと、試写の時に鳥肌がたちましたね。
『ラストイニング』は、最初は原作抜きだったんですが、主人公をインチキセールスマンにしたら面白いと着想を得まして。
その辺を入れ込むのと、野球のブレーンも必要と、原作をつける事になったんです。

ちょっとバカなくらいが良い

現在連載中の『WILD PITCH!!!』も、頑張り切ろうとやっているつもり。
田島も手を抜く事を知らないから、そこまでこだわるかというくらいで。
評価は色々ですから、ヘコまされたりしますけど。
ストーリーも考えて、というのを今やっている感じで、壁にぶつかっています。
次の事を考える余裕は無いですね。
デビュー前は恐れ知らずで、「何でおれらを使わないんだろう」と思っていましたが、飛び込んでみたら、浦沢さんをはじめ化け物だらけだった(笑)
頭が良い人は、それがわかっちゃって、やらないんですよ。
最初から挑戦もしない。
何かを始めるきっかけは、ちょっとバカなくらいが良いのかもしれない。
夢が叶うかどうかはわからないけど、とにかく第一歩を踏み出さないとね。

取材を終えて

絵の上手な少年たちがコンビを組み、アシスタントという下積みを経て、プロの世界へ飛び込む。
一度は入選という活躍を見せるが、その後は声がかからず、再起をかけて他の漫画賞へとチャレンジする。
氏のキャリアは、自身の描く野球漫画のストーリーのようだと思うのは穿ちすぎだろうか。
ギターデュオでライブ活動もしていらっしゃるのだが、近年とあるイベントで、お話にも登場した浦沢直樹氏、江口寿史氏とステージを共にしたのだから、人生は面白い。
取材後「人生やり直すとしても、絶対おれは同じコースを通っちゃう。あの苦労をまたするのは嫌だなぁ」と笑ったお顔が、とても印象的だった。

プロフィール

中原 裕(なかはら・ゆう)(中澤 秀樹(なかざわ・ひでき))
漫画家

埼玉県戸田市出身。
中原裕は中澤秀樹氏、田島裕之氏のコンビのペンネーム。
1984年『リョウ』(週刊ヤングジャンプ)でデビュー。
1986年『OVER ACTIVE』が第18回 小学館新人コミック大賞入賞。
1987年『ぶっちぎり』(週刊少年サンデー)で初連載。OVAになるなど、人気を博す。
1994年『奈緒子』(ビッグコミックスピリッツ)」連載開始。
2004年『ラストイニング』(ビッグコミックスピリッツ)連載開始。
2008年『奈緒子』実写映画公開。
2016年『WILD PITCH!!!』(ビッグコミックスピリッツ)連載開始。
近刊は『WILD PITCH!!!』7巻(小学館)。

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