難聴のハンデを乗り越えKrushチャンピオンになったスゴい人!

母の痛み

不完全燃焼の先

ベルトに拘ったひとつの理由

ここ数年で格闘技が盛り上がってきている中、今日のスゴい人は別格だ!
プロ格闘家でありながら耳が全く聞こえない難聴のハンデを乗り越え、チャンピオンベルトを巻いたのだ。
自分が放ったパンチやキックの音も聞こえないため、どの程度相手にダメージを与えたかもわからない。
更には試合中に的確な指示を与えてくれるセコンドからの声も聞こえないのだ。
彼は何故チャンピオンを目指したのだろうか?
今日は彼の視点から世の中を覗いてみよう。
きっと勇気を頂くと共に感謝の心が芽生えるだろう。

さあ…
K-1ジム総本部チームペガサス所属
郷州 征宜様の登場です!

なんで人と違うの?

物心がつく頃にはもう何も聞こえませんでした。
ただ、家の電話を取ったというおぼろげな記憶があります。
大きな音が鳴ったから受話器を取ったのですが、何を言っているかはわからなかったので、その後は取らなくなりました。
今は全く聞こえないです。
両親ともに耳は聞こえず、3人兄弟なのですが一番上の兄は聞こえるんです。
2番目の兄は聞こえないけれど普通の学校に通っていました。
自分も当たり前のように普通の学校に通いました。
当時、ろう学校がある事さえ知りませんでした。

母の痛み

やはり周りの友達とは違うのでイジメられました。
とても悲しくて辛くなってしまい、家に帰り「なんで自分だけ耳が聞こえないの?」と母にあたってしまったんです。
すると母は「ごめんね、ごめんね」と泣きながら謝ってくれたのです。
そんな母の姿を目の当たりにして、子どもながらに母の辛さも痛感し、自分が強くならなければいけないんだ!と思うようになりました。

野球との出会い

スポーツは得意でした。
野球を始めたらどんどん身体も大きくなって、イジメも少しずつ減って行きました。
バカにされる事も多かったので見返してやろう!という気持ちが強かったです。
守備は外野でした。
普通は金属バットにボールが当たる音と共にボールの行方を追うそうですが、僕にはバットにボールが当たる音は聞こえません。
そもそも聞こえない状態で野球を始めたので、自分で感覚をとらえて守備をしていました。
中学時代には全日本代表としてアメリカ遠征にも行ったんですが、中学時代がピークだったかも知れません(笑)
高校は山梨にある東海大学付属甲府高等学校に行き、寮生活。
中学から高校へ進学する時にほんの少しだけ野球をしなかっただけで感覚が鈍ってしまい、取り戻すのがもの凄く大変でした。
ボールがどこに落ちてくるのか、分からなくなってしまったんです。

テレビで見た姿

高校を卒業し地元の神奈川に戻った時、仲良くしてもらっていた先輩からキックボクシングを一緒にやらないかと誘われて訪れたのが「谷山ジム」でした。
でも、この時はあまりジムには行かず辞めてしまったんです。
東京の会社に就職するため神奈川から東京へ引っ越した時期にその先輩から、谷山ジムで一緒だった城戸康裕選手がテレビに出ていると連絡を貰ったんです。
K-1の日本代表決定トーナメントでした。
城戸選手が優勝されたのですが、その姿が物凄くカッコ良くて、もう1度キックボクシングをやってみよう!と思ったんです。

不完全燃焼の先

高校野球時代、県大会はレギュラーだったんですが、甲子園はベンチでした。
そんな過去の経験の中にどこか「不完全燃焼」という感情があったのだと思います。
もう1回本気でやって自分でやりきったぞ!という体験が欲しくて、キックボクシングを始めたというのもあります。
キックボクシングは個人競技なので、これなら完全燃焼できるかもしれない!と。
もう1度始めた時にはプロになりたいと思っていました。
半年後に試合が組まれ、勝利すると周りの人達が喜んでくれたことが嬉しくて、嬉しくて。
アマチュアは4試合して負けはなく、残り3試合は全日本トーナメントの試合でした。
ここで優勝し、MVPを取り、プロになれました。
プロになって10連勝したのですが、小宮山選手に負けてから幾つか負けも出て現在29戦中6敗です。

1人カラオケ

家の中ではずっと手話ではなく口話でした。
口の動きで相手の言葉を読み取るので、口の動きの小さい人の言葉は今でも全然わかりません。
自分の声ももちろん聞こえないので、声の大きさが適当であるか心配になります。
電車の高架下だと周りの騒音がうるさいので大きな声を出さないと相手に聞こえないと思うのですが、その騒音さえも自分には聞こえないので、どのくらいの力で声を出せば良いか手探りになります。
補聴器を付けたとしても、音が入ってくるだけで何を言っているかはわかりません。
今でも声を出さないでいると声量が落ちて喋れなくなるんです。
声量を落とさない為に、1人でカラオケに行きます。
歌うわけじゃありません(笑)
速いテンポの曲を入れて、朗読のような感じで発声するトレーニングをしに行くのです。

ベルトに拘ったひとつの理由

K-1ジム総本部チームペガサスへ移籍してから、ろう学校の子どもたちを試合に自費招待するようになりました。
同じ境遇の子どもたちに、たとえ耳が聞こえなくても、チャンピオンになれる姿を見せたかったんです。
自分も小さい時に「耳が聞こえないからどうせ無理だ」と諦めていた事がすごく沢山あって。
野球はなんとかできましたが、それ以外の事は耳が聞こえないからやりたくないと思った事もいっぱいあったのです。
聞こえないから、人と会話するのも相手に迷惑を掛けてしまうのではと引っ込み思案になってしまったり、聞こえないを理由に「やらない!」という選択をしてしまうんです。
だから1人でお店に入ってご飯を食べようとも思わず、いつもコンビニごはんでした。
今は1人でどこへでも行きます。
僕も子どもの頃に諦めなかったら、もっともっとスゴい事ができていたんじゃないかと思うので、子どもたちに耳が聞こえないからって諦めて欲しくないんです。
だから戦い続け、リングの上でチャンピオンベルトを巻く姿を通じて、子どもたちにあきらめない大切さを伝えたかったんです。

K-1のベルトを巻く夢

先日の試合は330人くらいの方にチケットを買って頂きました。
減量をしていると、何でこんなつらいことをやっているのかと思う時はあるのですが、年々応援してくれる人が増え、SNSなどを通じ知らない方からもメッセージを頂けるのも本当に有難く、勇気に繋がっています。
今後は、今のベルトを防衛しながらK-1のチャンピオンベルトを獲りに行きます。
格闘技は今、僕が人生の中で精一杯取り組む大切な事!
僕が戦う姿を通じて皆さんに勇気を与えることができる様に、これからも頑張りますので応援宜しくお願い致します。

取材を終えて

たまたまテレビを点けたら郷州選手の姿が映り、ろう学校の子どもたちが試合会場で一生懸命に郷州選手を応援する姿。
子どもたちに、諦めなければ耳が聞こえなくてもチャンピオンになれる事を見せるために何年もベルトに向かってチャレンジされたと知って感動し、多くの人に郷州選手を知っていただきたくなり小比類巻選手を通じてご紹介頂いた。
インタビューもほとんど自分が話すことを理解してくれるので、彼が難聴であることを忘れる瞬間が沢山あった。
そして何より真っ直ぐな心を持ち、純粋にキックボクシングに取り組んでいる姿はきっと多くの人に内省する時間を与えるだろう。
いつかK-1のベルトを巻いて欲しい!

プロフィール

郷州 征宜(ごうしゅう・まさのぶ)
キックボクサー

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