ボルボ・カー・ジャパンの社長を務めるスゴい人!

トヨタに20年勤めるも、経営者を目指し転職

環境の変化に四苦八苦

今だから実感するコネクティングドッツ

本日登場するスゴい人は、就職してから経営者になるという夢を抱き、それを成し遂げるために転職をして一歩一歩確実に夢に近づいていったという過去を持つ人物。
日本の年功序列の考え方に囚われずに新しい環境に挑み、自分から理想に近づいていったことが彼の成功の秘訣なのかもしれない。
そのときの原動力とはいったいどのようなものだったのか?
きっと今の状況に満足していないが、環境が変わることに憶病になっていてなかなか行動に移せずにいる方の背中を押してくれるでしょう。

さあ…
ボルボ・カー・ジャパン株式会社
代表取締役社長 木村 隆之様の登場です!

大人って変だなという違和感

私の幼少期はませガキでした。
周りの大人が話しているのを見て、「変な意見を持っているな」とか「この人、間違っているんじゃないかな」とか、そういうことを常に思っている子どもでした。
小さい頃から、何が本当のことなのかということや、大人って偏見を持っていて変な人ばかりだとかを常に考えていました。

トヨタに20年勤めるも、経営者を目指し転職

車が好きだったのと、理系出身の自分が技術者とお客様や販売代理店の懸け橋のような役割ができたらいいなと思っていたので、大学卒業後はトヨタの営業の仕事に就きました。
約20年勤めましたが、その中でも印象的なのは36歳でMBA取得のためにアメリカに留学したことです。
その歳でアメリカという国を体感でき、たくさんの異業種の人と交流したことが一番面白かったです。
この少し前から経営者になりたいと思っていたのですが、帰国してから命じられたのはレクサスでの人材育成と顧客満足度を上げるという仕事でした。
トヨタにいたら社長のポストにはたどり着けないと思ったので、退職してユニクロに入社しました。
動機は単純です。新聞の全面広告に「経営者募集」と書いてあったから。
トヨタに勤めている間、自分が担当していないことについて誰かが話しているときも聞き耳を立てていました。
これに対してはこういう判断をしたんだ、というのを参考にするためです。
でも自分だったらこうするけどな、と考えることが一番大事だと思っています。
小さい時の話と重なっていますね。

環境の変化に四苦八苦

トヨタからユニクロ。
業種・職種・住む場所、そして典型的な大企業から柳井正社長のオーナー企業へという4つの変化に適応できるようになるまでが本当に大変でした。
転職をしようとしている人には、変えていいのは最高2つだと言っているのですが、間違っても全部変えるべきではないなと身にしみて感じました。
実はこれが今までで味わった中での一番の挫折でした。
社長になりたいという気持ちがずっとあったので、乗り越えられたのかもしれません。
この時期の私は、社長になれるのなら車は趣味にしようと考えていました。

人の心を奪ってしまう車の魅力が好きだと気づいた

ユニクロで働いていて、だんだん今まで漠然としていた車が好きな理由が見えてきました。
人間は高い買い物になればなるほど、合理的に判断しようとする。
でも車に関しては、不動産の次に大きな買い物であるはずなのに、かっこいいとか試乗したらよかったなど、感情で購入に踏み切るお客様が多い。
高くなればなるほど合理的になるという理論とは真逆。
それに、買ってもらったあともサービスや保険があり、時にはローンのお付き合いもあり、単に売り買いだけにとどまらず、そのままお客様との関係が続いていく。
それらすべてが商売として面白い。
だから、私は車が好きだったのかと気づきました。
そんな思いと、経営者になりたいという夢があり、それを日産が叶えてくれました。
インドネシア日産の社長にしてくださいました。
社長経験もない私をいきなり採用して社長にしてくれたので、日産には大変感謝しています。
そこで業績を上げることに成功しました。
志賀さん(現日産副会長)がかつて駐在していた時代の最高販売記録は年間5,000台でしたが、私が2012年に月間5,000台の販売新記録を出した時には、大変喜んでくださいました。
従業員と売っている車が素晴らしかったがゆえに成し遂げられたと思っています。
日産に務めて3年半になる頃、ボルボ・カー・ジャパンから社長のオファーをいただき、今に至ります。

社員の意識改革はドレスコードを変えることから

ボルボ・カー・ジャパンは今まで社長が外国人でした。
彼らは任期があるので、どうしても事業計画が短期志向になりました。
でも我々のビジネスパートナーであるディーラーさんは、基本的に自分の代のビジネスだけじゃなくて子や孫にまでどうやって引き継いでいくかと考えている方たちなので、時間軸が合わないのが問題でした。
そういう意味で、私は任期が決まっていませんから、同じ時間軸で見ることができました。
ディーラーさんからは10年やってくれと言われています(笑)
ボルボの社長になり最初に行ったことは、ドレスコードの徹底でした。
ちゃんとしたものがないと聞き、ラペルピンを作るところから始めました。
これにはこだわりがあって、ボルボブランドに務める一員という証であるので売り買いはできないのです。
そういうことから変えることによって従業員の意識も変わっていく。
よく話すのは、500万円の車を3年乗るとして、月払いにしたらいくらになりますかと。
レストランで毎月15万円使って下さるお客様への態度ってどういうものだと思いますかと。あなた方はそれに比べてオーナーさんになんていう失礼な態度をとっているんですかというような話もします。
車屋は恵まれていて、商品を売るだけでお客様はたくさんお金を使ってくれるけど、そのありがたみをすぐ忘れてしまいます。
ちゃんとお客様目線で考えることを再認識していくことで、顧客満足に直結するとも考えています。

今だから実感するコネクティングドッツ

レクサスにいたときに経験があるので、今この会社のどこを改善すれば顧客満足度を高められるのかはわかっていました。
このように、当時はやらされてやっていたことだとしても時間がたつと役立つ瞬間がある。
スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での有名な演説でも、「コネクティングドッツ」として紹介されています。
また、好奇心がきっかけで始めたことが思わぬところで良い結果につながるという経験をしたので、好奇心はすごく大事にしていることの一つです。
その他には謙虚な心と物事を考えるときの柔軟性が大切だと思います。
そして、前述したスピーチの内容で、彼が毎朝鏡の前に立って「明日死ぬとして自分は今本当に正しいことをやっているのか」と問うたとき、NOと答える日が何日も続いたら何かを変える必要があるというのもずっと心に残っている言葉です。
ああなりたいと思っていますが、なかなかなれていません(笑)

夢や目標に向かっている人へ

具体的に行動を起こすこと。
私の場合もトヨタを辞めなかったら始まらなかったので。
自分のとった行動に対して振り返りはするけど、後悔はしないということが大事だと思います。
目標に向かっている時って、それに到達している歩幅やスピードがものすごく気になるんですが、やっぱりそれって周りの環境などの色々な影響があって。
目標にすごい勢いで近づいているというときもあれば、全然前に進んでないという状況だってあると思います。
ですが、ベクトルの向きが自分の目指している方向へ合っていれば、それでいいんだと思います。

取材を終えて

本社オフィスにお邪魔して、お話を伺いました。
これまでに数々の場面で成果を出していらっしゃったご経歴を拝見すると、「挫折なんて無いのでは」と思っていたので、環境の変化に苦しんだ時期があったというお話は意外でした。
やはり印象的だったのは、「ベクトルの向きが大事」という言葉。
思うように進まないと、どうしても「こっちじゃなくてあっちかな」と他の向きに進もうとしてしまうものですが、少しずつしか近づけない時でも、ベクトルの向きがあっていればそれでいい。
この言葉は、不安になった時に大きな支えとなるはずです。

プロフィール

木村隆之(きむら・たかゆき)
ボルボ・カー・ジャパン株式会社 代表取締役社長
トヨタに勤めた20年のうち16年間海外営業を中心に活躍。のちにレクサスに移籍。
人材育成・顧客満足を3年半担当する。
その後、ユニクロの営業副本部長を経て日産のインドネシア日産で代表取締役社長を務める。
数々の販売記録をぬりかえ、着実に成果をあげていった。
そしてボルボ・カー・ジャパン株式会社の代表取締役社長に就任。
2017年現在、3年目に突入し、今後も社員にもわかりやすい方針と定評がある長期計画を遂行していく。

◆ボルボ・カー・ジャパン株式会社
https://www.volvocars.com/jp

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