全国に一瞬でブームを巻き起こす
日本になくアメリカでは100年以上前からあるサービス
死の淵をさまよう2年間
家電量販店で家電を購入した時、メーカー保証期間が切れても小売価格の5%を払うことで保証期間を延長できるサービスを利用した人も多いのではないだろうか。
このサービスは某大手量販店が最初に導入し、それは本日登場のスゴい人がお客様目線から立案実行した。
彼はドラマになるぐらい、驚くべき人生を過ごしている。
そこまでしなくても…と思える所が出てくるが新しい文化を定着させるには逆にそこまでしないと!という事なのだろう。
我々が安心して製品を使い続ける保証制度を作り上げたスゴい人の経験と想いを聞かせてもらう。
さあ…
株式会社Warranty technology
代表取締役社長 今村 末男様の登場です!
学生起業で失敗するも消えない開拓精神
子どものころは引っ込み思案でしたが、3年生の時、先生の一言で水泳を始めるとすぐに6年生を抜き、翌年にはジュニアオリンピックに出るようになっていました。
この水泳の経験から、やればできる!という精神が芽生えました。
図面を書くビジネスで学生起業し、財界からも注目されたのですが、色々な事業に投資してしまい本業以外は大失敗。
本業も大手ゼネコン会社に売却してしまいました。
その後、金融業界で勉強中に某大手量販店さんをコンサルティングする話を頂き関わらせて頂きました。
高い家電を買っても配送は自分でやるか、配送物流はあっても梱包したままで玄関に置いていく時代でした。
旦那さんが帰宅して、玄関から台所に冷蔵庫を運び自ら設置して、使っていた冷蔵庫は廃品回収業者に連絡して持っていってもらうのです。
私はそこに目をつけました。
サービスインフラを整え、企画提案し、採用されました。
設置も下取りもできる某大手量販店は、一気にサービス面の充実をし始めました。
全国に一瞬でブームを巻き起こす
特にエアコンは1台20万円と高価で、電気工事屋さんが取り扱っていた時代。
某大手量販店は商品を6万円で販売し、お客様が電気工事屋さんを見つけていました。
すると工事屋さんを紹介して欲しいという声が上がってくるようになったのです。
タウンページで全国の電気設備屋さんに協力依頼をし、2万業者のインフラを確保できエアコン設置まで合わせた金額で提供できるようになったのです。
全国に広告を打つと1日1万台が売れるほど、お客様からのニーズが高いサービスとなりました。
ただ、お客様が広告を見て店舗に問い合わせても現場まで情報が届かず「当店のサービスではないのでは?」と答えてしまうお店が多発し、私が中心になりコールセンターを立ち上げました。
家電量販店でコールセンターを作ったのも某大手量販店が初めてです。
日本になくアメリカでは100年以上前からあるサービス
アメリカに遊びに行った時、ウォールマートで「extended warranty」という看板があり、友人に聞くとアメリカでは自分が欲しい分の保証をお金で買うと言うのです。
でも、日本では町の電気屋さんのサービスの一環として家までタダで直しに来てくれる文化があり、必要ないと思っていました。
しかし、日本にはまだ無いのにアメリカで100年近く続く産業がどうしても忘れられませんでした。
保証は役務提供(修理をすること)なのでメーカーからはパーツを提供してもらい、町の電気屋さんは修理ができるので修理インフラを作り、社内では猛反対でしたが5店舗でテストしたのです。
反対の理由は修理したら新品が売れないということです。
それが、修理に持ち込む=買い替えのチャンスにも繋がり、売上が2%も伸びたので一気に全国展開しました。
2~3年の修理データと過去の修理データを試算している時に「extended warranty」を思い出したのです。
最初の試算では小売価格の10%になったのですが、保証に上限を設けることでメーカーより安く、5%で5年補償が可能な数字が出てきたのです。
某大手量販店が5%で5年補償を掲げると、他社も表面だけ真似し始めました。
そして彼らは保険会社に頼み、保険でリスクを回避したのです。
安く修理できるネットワークを持っていないので修理はメーカーへ依頼され、保険会社は30億円の保険料で50億円近く請求され、どこも大損しました。
某大手量販店は5%でも利益が出る構造なので、売上は翌年160%、更に翌年も150%とうなぎのぼりでした。
10%還元セールという仕組みも私が作りました。
レジで「5%で5年補償が付きます」とおすすめすると、付帯率が60%を超えていきました。
死の淵をさまよう2年間
大手量販店ができると町の電気屋さんが潰れるようになり、「何とかしないと!」と一念発起。
全く同じ補償サービスを町の電気屋さんにも提供しようと社内で提案したら、見事に玉砕したので独立することにしました。
飛び出して、「お前の会社が潰れたら誰がその保証を引き継ぐのか?」と言われ大手看板の強さを身にしみて知りました。
保険でリスクヘッジをしようにも、全ての保険屋が過去に他社で痛い目を見て誰も見向きもしてくれませんでした。
自社で引当金を積み、スタートしたのです。
Webで購入するお客様からは保証があると安心ということで加入数は増えるのですが、信用補完が無い状況が続き、全ての故障データをガラス張りにしました。
そうしたらある保険会社の部長さんだけが私を信用してくれ、会社がこれ以上行ったら潰れてしまう状況になったら発動する条件で動いてくれました。
これでやっと信用補完ができ、一気に伸び3期目で40億円近くの内部保全が出来るようになったのです。
やっと安定時期に入った頃、健康診断に引っかかりました。
先生は真顔で「発症して半年から8ヶ月で死亡する劇症肝炎で手の施しようがない」と言われたのです。
日本で手術は不可能なのですぐにアメリカに飛び、全身チューブで繋がれ、2週間の薬剤投与。
意識が朦朧とし、地獄のような時間でした。
1ヶ月ほどで峠を超し、鏡を見ると全身の毛が抜け落ちていました。
副作用もひどく、アメリカでの治療に2年もかかりました。
日本で保証制度を消さない為に
帰国すると、死ぬと思っていた人間が戻ってきたような目で見られました。
会社の数字が明らかにおかしいので調査を始めると、臨時取締役会を開かれ、決議事項は私の解任。
自分の保有株式は取締役会で無効となり、20%未満にされました。
有る事無い事理由を受けての解任です。
その後、新たに立ち上げたのが今の会社です。
案の定、前の会社は倒産したのですが、お客様を裏切れないし潰れたら業界全体が落ち込むので見過ごせませんでした。
あの時、助けてくれた保険会社の部長(現在は取締役)に「このリスクをなんとか引受けてくれないか」と相談に行くとその場で「わかった」の一言。
調べてみるとリスクは10億円近かったのです。
裁判所からも大丈夫ですか?と言われましたが、私はリスクごと買収しました。
私は保証ビジネスの根幹の立ち上げをした人間なので、家電以外の保証サービスも既に提供しており、以前のお客様もほとんど戻ってきてくれてリスクを回避できました。
更に我々はwebや電子メールそしてアプリケーションで保証書を出すシステムの特許を保有しています。
保証業界はこの10年でこれだけ激変したので、次の10年は更に精査されお客様に安定した安心をお届けできるようになると思います。
取材を終えて
町の電気屋さんを守るために独立され、更には自分が立ち上げた会社を闘病中にボロボロにされた後、全てのリスクを自ら背負い再生させている姿から保証サービスビジネスに対して命を掛けている事がうかがえる。
闘病から解任、そして復活の話はきっとかなりの視聴率が取れるドラマが作れると思う。
今村社長がいたから延長保証文化が日本に広まり、商品購入後も安心して私たちは商品を使用できている。
家電だけではなく「住宅」「店舗」「賃貸マンション」「モバイル端末」などにも展開し、先日も株式会社三城(メガネのパリミキ)さんと業務提携され眼鏡と補聴器の延長保証サービスを発表した。これからの快進撃にも注目したい。
プロフィール
今村 末男(いまむら・すえお)
株式会社Warranty technology 代表取締役社長
[経歴]
・2004年 株式会社マルチメディアワーク 上席執行役員 就任
・2005年 株式会社マルチメディアワーク 取締役 就任
・2006年 株式会社ワランティーマート創業 代表取締役 就任
・2010年 株式会社ワランティーマート 取締役会長 就任
・2012年 株式会社マーテックス設立 取締役 就任
・2013年 株式会社マーテックス 代表取締役 就任(現任)
※2016年8月 社名変更により、株式会社Warranty technology(ワランティテクノロジー)となっております。