おニャン子クラブも最終審査まで残っていた
理不尽な先輩と唯一戦える武器
辞めると思った時に広がった新世界
女子プロレスラーというと皆様はどなたを思い浮かべるだろうか?
年齢によって異なるだろうが、本日登場するスゴい人を思い浮かべる人も多いだろう!
芸能プロダクションからも誘われていたので、プロレスラーになっていなかったらモデル、もしくはアイドルになっていたかもしれない。
元祖アイドルレスラーというキャラ設定をされた事により辛いこともあったが、彼女はこれをバネにした!
辞めようと思ったプロレスを一気に好きになった瞬間があったそうだ。
彼女が生きてきたプロレス人生を覗いてみよう。
さあ…
LLPW-X 井上 貴子様の登場です!
街でスカウトされ少女モデルに!
小学生の頃、ビューティ・ペアが好きで女子プロを見ていましたが、体が大きい人がやるものと思って見ていました。
中学2年生の時にジャガー横田さんの姿を見て、小柄でもプロレスラーになれること知り私にもできるかな?と思ったのです。
そうしたらテレビにオーディション募集(15歳〜18歳迄)のテロップが流れ「来年になったら受けられる!」と思いこの時、私の進路は決まりました(笑)
実は、街でスカウトされ少女漫画の懸賞モデルをしていたので、事務所から高校を卒業したらモデルをやらないかという話も頂いていたのです。
おニャン子クラブも最終審査まで残っていた
当時はアイドルブームで、モデルってパッとしないイメージだったのです。
友達が勝手におニャン子クラブに私の資料を送っていて、書類審査を通過し、歌も通過して最終選考まで進んでいました。
女子プロ入団テストは毎年、成人の日でしたが中学3年、高校1年と落ち続け、そして高校2年の時はおニャン子クラブの最終選考日と重なり、もちろんプロレスを選んだものの、また不合格。
18歳の期限までチャンスは残り1回になりました。
何かしないとまた落ちると思い、レスリングがプロレスの基礎になると聞いて茨城から東京のオリンピック村まで通いました。
入団テストは落とされまくり、お尻で合格!?
当時レスリングはまだオリンピック種目にはなっていなくて、マイナースポーツでした。
最初は週2日だったのですが、だんだん面白くなってきて平日は毎日、土日はその交通費を稼ぐためにアルバイトをするようになっていました。
オーディションは毎年、体力テストは通過して最終の面接で不合格だったのですが、不合格理由は教えてくれません。
高校3年生、最後のオーディションがやってきました。
その年も最終面接まで残り、リングの上で「後ろ向け」と言われ後ろ向きの面接でした。
後ろ向きで合格したのです。
もちろん理由は教えてくれません。
会長が格闘家はおしりがしっかりしていないとダメだ!とよく口にしていたので、私はお尻で合格したと勝手に思っています(笑)
理不尽な先輩と唯一戦える武器
入団2日目、珍しく東京に雪が積もり、最初の仕事は雪かきでした。
上下関係が厳しいという噂は聞いていたけれど、やっと掴んだ夢の第一歩だから何が何でも耐えてやる!という気持ちで溢れていました。
キラキラしたオーラはこの世界で努力し選ばれた人たちしか出せないのだと、トップ選手と接してすぐに感じ取れました。
3日目から練習が始まり、もちろん想像を超えた厳しさでしたが、頂点を極めている人(ジャガー横田さん)は奥深いところに優しさがありました。
どんなに辛くても頑張れたのは送り出してくれた地元の仲間と両親に対して「練習が辛いから辞めます」とは恥ずかしくて言えなかったから。
厳しい練習も時間が来れば終わるので、ひたすら我慢!
ただ、理不尽すぎる人間関係は辛かったですが、慣れるしかありません!
とにかく人気者になることが理不尽な先輩たちを黙らせる唯一の事だと考え、耐えましたね。
テレビ局の持ち込み企画でアイドルレスラーへ
まだまだ下積み時代である3年目に入る前、テレビ局からプロレスラーからアイドルを作ろう!という企画が持ち込まれて私が選ばれました。
会社は早いほうが良いと写真集、ビデオ、CDを発売しました。
下積みをきっちりしようと思っても、必然的に時間は奪われるのでリング作りに間に合い
ません。
その時は30人いる先輩に1人ずつ頭を下げに行ったものの、ほとんどの人に無視されました。
可愛らしい格好は好きじゃないけれど、アイドルレスラーに徹し、人気者になろうと心に誓いました。
井上貴子の象徴
先輩は絶対なので、何を言われても言い返すことはできません。
だから途中から聞き流すようになっていました(笑)
これができるようになって、楽になりましたね。
赤いベルトが頂点ベルトでしたが、私はトップに立つ器じゃないとわかっていたし、立ちたいとも思っていませんでした。
ただ、過去にも未来にも井上貴子じゃないと手にできないポジションが欲しかったんです。
その象徴の一つが綺麗な白いベルトだったのです。
きっとそのポジションは未だに破られていません。
辞めると思った時に広がった新世界
同期が活躍し始める中、私のアイドル路線は終わりを迎えました。
色々と頑張ってきて実力も出し切ったから辞めようと思い、社長に「辞めます」と言いに行きました。
すると、他の団体(LLPW)と対抗戦をスタートするから行ってこい!と言われ、会社が決めたことに対してNOは無いので仕方なく行くことに。
先輩の堀田選手と向かったのですが「今日は周りで煩く言う人は誰もいない。自分が好きなことをリングで表現しなさい」と言われたのです。
そんな事、一度も言われたことが無いので戸惑いましたが「自由なんだ!」と羽が生えた心地で、本当に好き勝手にやらせてもらったのです!
そうしたら「あれ?プロレスめっちゃ楽しい!こんなに楽しいんだ!」と思えたのです。
それまで私はアイドルレスラーだから、舌打ちや相手を睨んだりせず可哀想なキャラを演じていたのです。
それが、本来の意地悪キャラが出たらお客様にウケたのです。
堀田選手に本当に感謝しています。
プロレスの面白さを知ったので、社長には「辞めるの、辞めます!」と言いに行きました(笑)
その後、対抗戦ブームで女子プロレス界が盛り上がっていくのです。
私が果たすべき役割
今は月に2~4回程度試合に出て、後輩に胸を貸しています。
ただ、来年49歳で30周年なので、50歳手前で引退しようと思っています。
私は努力しています!と言っている程度では全く努力と言わず、自然と地道に努力を積み重ねた人だけがある時、パッと華が咲くのです。
この華が咲く瞬間はいつ訪れるかわかりません。
ただ、努力した本人だけには今だ!と感じられます。
私は初めての対抗戦がその時でした。
今の女子プロは私でもできそう!と入団してくる雰囲気があり、プロレスというより踊っているのでは?と感じてしまう瞬間もあります。
私の役割は尊敬と憧れを兼ね備え、キラキラとしたスター選手が出てくるまで女子プロの炎を消さない事だと思っています。
そして、一般の人向けにプロレスの動きを使った運動も開発していこうと思っています。
そこから少しでもプロレスに興味を持っていただければ、嬉しいかな。
取材を終えて
道場に着いた時はちょうど他のプロレス団体さんが練習を終えた時間でした。
スゴく小柄で、雰囲気もプロレスラーには見えない選手が多くいた。
井上選手が入団テストを受けていた時は、全国から数千人もの女性がエントリーし残るのはたったの10名という狭き門だったそうだ。
多くの人から選ばれた時代から、私でもなれるかな?と当時に比べれば意外と簡単にリングに上がれてしまう時代では、当たり前だが選手自身のマインドも違ってきてしまうだろう。
全ての物事は時代とともに変化してゆくものだが、井上選手にしかできない何かで女子プロレス業界に再度、一輪の華を添えて欲しいと思った。
プロフィール
井上 貴子(いのうえ・たかこ)
◆LLPW-X OFFICIAL WEBSITE
http://llpw-x.com/