台湾人の彼女と.comバブル
原因自分論の言葉と出会い起死回生
チャットワークを日本が世界に誇れるITサービスに!
本日登場するのは、「チャットワーク」というビジネスチャットツールを作ったスゴい人。
「チャットワーク」とはメール・電話・会議に代わるコミュニケーションツール。
「チャット」の他に、「タスク管理」「ファイル共有」「ビデオ通話/音声通話」も可能。
導入社数は144,000社を超えている。
アジアを中心にグローバル展開もしている。
こんなスゴいビジネスチャットツールはどんな経営者が生み出したのだろうか!?
さあ…
ChatWork株式会社
CEO 山本 敏行様の登場です!
カツアゲが人生を変えた
小学生の頃、ラジコンが欲しくてお小遣いを貯め続け、お店で財布を開いたら不良に財布を覗かれていて「お兄ちゃん財布みしてーや、みるだけだから」と言われ、素直に従ったらお金を抜かれ逃げられてしまったのです。
家を突き止め、取り返しに行くと母に話したのですが、相手は近所の札付きの悪なので「やめなさい!」と止められたのです。
だからと言って母がラジコンを買ってくれたわけでもありません。
また同じ期間我慢してラジコン代を貯めなければならないのかと、悔しさがいっぱいになりました。
この経験から、時を待つのではなく、自ら稼ぎ出す精神が宿ったのでしょう。
中学1年生のお小遣いが月1,000円でしたが、母は内職で1日1,000円稼ぐと聞き、自分も内職を手伝い、月3万円稼ぐようになりました。
オタクが世の中を支えている!?
高校は日本拳法部に入り主将をし、全日本優勝を目指していました。
一方、弟はオタクで室内に篭っていました。
弟を技の練習相手にさせていたある日、父に「この日本を作ったのはオタクだぞ!」と怒られたのです。
弟の部屋でオンライン対戦ゲームを見せてもらって、その世界に衝撃を受けました。
ホームページも無い時代でしたが、僕はこのインターネットの世界で何かをしたいと思ったのです。
それから弟のPCを取り上げ、ニフティーサーブでモノを販売し、全国の人と繋がり金銭が行き交うことにすごく興奮しました。
進学校で受験勉強も忙しかったので、いつか時間ができた時にやれるよう、在宅の仕事情報をネット掲示板から収集し、リスト化していました。
1,500件ほど集めた時に、主婦がこの情報を欲しがっているのを知り、リスト情報を2万円で販売しました。
台湾人の彼女と.comバブル
大学3年生の時、インターネット上で話せるネットミーティングにIDを作り、繋いでみました。
するといきなり女の子が話しかけてきたのです。
間違ってかけてきたみたいだけど折角なので話をすると、台湾から日本に留学に来ている子でした。
その後、僕は彼女と付き合うことになったのですが、彼女は日本を離れロスに行くと言うのです。
アメリカに興味はなかったのですが、大学3年の終わりに1年休学して彼女について行くことにしました。
2000年当時、アメリカでネットサーフィンをしていると、日本の中小企業のホームページが拙いのでアクセス数を増やす支援ができると思い、起業しました。
時差もあり電話も受けられないので、問い合わせはメールのみ。
当時は300近くある検索エンジンに登録しないと、ネット上に存在しないと言われていました。
この登録作業を1回5万円で請け負っている業者がいたのです。
そして、300件近い検索エンジンに1クリックで登録するソフトを発見した時、真っ先に導入しました。
1クリックするだけで5万円も搾取している業者がいるとインターネットのイメージが悪くなってしまうと思い、僕は登録代行サービスを3,000円で提供したのです。
1年経ち、帰国後も事業は継続しました。
二足のわらじ
ここまで学生時代からビジネスに固執していた理由は、親が経営していた音楽スタジオを継ぎたくなかったからです。
友達が遊んでいる中、僕は夜中まで1人で仕事するのが当たり前でした。
アメリカで立ち上げたインターネットビジネスで月50万円程稼げるようになったので、この仕事をしたいと父に話すと「ダメだ!」と一喝されました。
ネットの可能性を批判されたと思い、すごく辛かったのですが、長年経営してきた父の言うことも一理あるのかもしれない、とも思いインターネットの仕事は継続させてもらう条件で家業を継ぎました。
1日の半分は親の仕事を手伝い、残り半分は自分の仕事をしました。
人も雇用できないのでリモートで指示し、対価を払うクラウドソーシングのような仕事の委託を2002年頃からしていました。
徹底的に効率化しても月末は徹夜です。
2年程してITの仕事に本腰を入れないと中途半端になると思い、父に伝えようと決めました。
その日、意を決して伝えると、僕の本気度合いを理解した父は受け入れてくれました。
「原因自分論」の言葉と出会い起死回生
全ての時間を仕事に費やせる嬉しさと、社員を雇用し仲間と共に働ける嬉しさ。
仕事が大好きな僕は、社員も同じ気持ちだと思いガンガン仕事をしてもらい、更に体育会系のマネージメントも影響し、人がどんどん辞めていきました。
唯一のデザイナーが辞めた時は、営業部署がない僕たちは勝負をできなくなり、真剣に悩みました。
そして、1年かけて1000人の経営者に会いに行くことを決め、実践しました。
その中で、ある経営者から「原因自分論」という言葉を聞き猛省しました。
確かにそれまでは「原因他人論」だったのです。
ビジネスの世界で戦い続けていく中で、少しくらい社員を大切にするレベルでは勝てないと思い「社員第一主義」を掲げました。
経営陣は社員を見て、社員はお客様を見て、経営陣は社員を守るのです。
2年後にはリンクアンドモチベーションさんの社員満足度1位に表彰されました。
チャットワークを日本が世界に誇れるITサービスに!
.com全盛期から10年程経っても、世界が注目している日本のITサービスは一つもない。
次はビジネスチャットツールを作ろうと思っていたので、世界を見据えて英語版もすぐにリリースしました。
シリコンバレーにもプレゼンしに行き、投資家はつきそうだったのですが、ユーザーの理解を得られなかったのです。
アメリカ人の仕事の仕方を知らないからだと思い、家族とアメリカに移住しました。
するとアメリカと日本のマネージメントの違いも見えてきました。
ずっと自己資金で経営しシリコンバレーでは数億円を投じました。
シリコンバレーでもここ数年でビジネスチャットサービスが生まれてきて、勝負に出ようと思いました。
これまで自己資本を守ってきたのですが、役員会でスピード感を上げる為、資金調達をし、散るなら散る!跳ねるなら跳ねさせたい!と話すと満場一致だったのです。
資金調達活動の結果、総額18億円調達出来ました。
日本が誇れるITサービスとして世界にチャットワークあり!と言われるステージを作り上げて行きます。
取材を終えて
「“.comバブル全盛にロサンゼルスへ留学し起業!”と格好良く書かれるのですが、実は台湾人の彼女を追いかけてアメリカに行き、現地で喧嘩が絶えず、学校に行くことができず時間があったから家でネットサーフィンしながら起業したのです」とさらりと話してしまう山本社長が素敵だった。
そして、弟さんも開発担当として一緒に働いているのも素敵な兄弟関係。
自分もチャットワークは普段から利用させてもらっているので、日本を代表するサービスとして世界中に広がって行く事は今から楽しみである。
プロフィール
山本敏行(やまもと・としゆき)
ChatWork株式会社 CEO
◆ChatWork【ビジネスが加速するクラウド会議室】
http://www.chatwork.com/ja/