お客様の秘書役に徹し、三越伝説のトップ外商となったスゴい人!

突然VIP担当の大仕事

学んだのは商いに必要なお客様との信頼関係づくり

外商マンとして大切な5つのこと

本日登場するスゴい人は、三越伝説のトップ外商のスゴい人!
外商とは店舗を構え、お客様を呼んで商品を販売する店舗販売に対し、お客様のところに直接出向き、さまざまな注文をうかがい、後日、商品を揃え販売する仕事のこと。
衣食住全般にわたりお客様の希望を満たし、VIPや多忙で来店がむずかしい特別なお客様を対象としたサービス。
クレジットのように信用販売が基本となっている。
そこで本日のスゴい人は、700家族、3000人という類を見ない開拓顧客数の伝説を作った。
一人ひとりを大切に、秘書役としてお客様に寄り添う徹底した気遣いの秘訣とは?
トップ外商としての経験談、多くのお客様と出会う事で培った知識について取材した。

さあ…
オフィス ミライング
代表 伊吹 晶夫様の登場です!

三越で働くきっかけ

小さいころから「あきない」というものを目にしていました。
三越本店へは、祖父母と買い物のお供につれられて行っていました。
祖父は三越大好き人間で、「万年筆のインクも三越の物でなくてはいけない。」そんなこだわりを持っていました。
当時の百貨店はどこの売場の店頭社員の方々もとてもにこやかで親切でした。
この体験が三越に入社する大きな要因でした。
高校卒業後、三越に就職します。
衣食住すべてを扱う百貨店は生活を豊かにし、人を幸せにすると考えたのです。
社内は和気藹々とし、当時、百貨店王者だったこともあり三越はとても活気がありました。
厳しい会社と言われていて、「三越小僧読本」という教材があったのですが、そこに面白い採用条件が載っているのですよ。
その条件が愛嬌、せじ(お世辞)、誠実さの3つです。
シンプルな採用条件ですが、今でも的を射ていると思います。
お客様のお好みを把握し、お客様が望む商品を提案することが理想の商人であると教え込まれました。

困った時に思い出される存在へ

2か月の研修を経て紳士洋品部に配属が決まりました。
ワイシャツ売り場では1日1000枚も売れて、大盛況でした。
しかし、そこからツケ買いのお客様を開拓するのです。
お客様は2回で覚える、その為にお客様名簿を作っていました。
些細な会話からお客様情報をメモして情報を集積したのです。
どうしてお見えになったのか、大事な人の誕生日や記念日などをメモしておくと、次回来店頂いた時に話題に出して喜んで頂けるのです。
こうして開拓顧客は700家族3000人となりました。
よくお客様から「私の名前を覚えていてくれたね」と言われましたが、私は東京に親戚知人も無く、お客様の開拓は店頭での出会いが唯一でした。
お一人おひとりの出会いに感謝の気持ちでいましたので、忘れるのはもったいないと考えていたのです。
幸か不幸か、私は入社以来43年間転勤なしで日本橋にいました。
それも困ったときに「伊吹に相談してみよう…」と私の顔を思い出してくれるお客様がいらっしゃったからと今でも感謝しています。

突然VIP担当の大仕事

ある日任されたおつかい第一号が田中角栄元首相でした。
それが25歳の時。
朝から目白の御宅で先生を待って御用聞きをしましたよ。
外商で官邸に入った回数は1番だと言われていました。
38歳の時に売り上げトップ集団に入りました。
百貨店外商マンのなかで、これが売れるようになると一人前と言われるものがあります。
着物(呉服)・宝石・美術品。
3つの頭文字をあわせて、呉宝美(ごほうび)と呼んでいます。
美術品について、当時は気に入った絵があってもネットがないので時間をかけて調べました。
現役時代は週に一度の休みに美術展に行って勉強していました。
大学の教授に褒められるくらい雑学を蓄えていたら、いつしかそれが教養に繋がり、お客様との会話に活かされていきました。
また、お客様との信頼関係が深くなるにつれて、冠婚葬祭のお手伝いに伺うことが多くなりましたね。
信頼があるからこそ任せていただける仕事で、精一杯お手伝いをさせていただきました。

学んだのは商いに必要なお客様との信頼関係づくり

いつしか顧客作りの職人と呼ばれるようになりました。
商いとは「飽きずに気を遣うこと」、多くの日本人が忘れています。
オーダーメイドが当たり前の時代になりましたが、「誂えは、あぁつらい」と思っておけば、何度も直さなければならずつらくても、気が楽になりますよ。
気を遣う私の根本は20年間平社員だったことだと思います。
売上が上がっても、高卒だから後から入った大卒の人に抜かれて悔しい思いをし、ここで偉くなることはないと実感したのです。
モヤモヤすることはやめて、お客様の秘書役になることを徹底しました。
出会った人のデータを整理して常に先へと目を向け、お客様のトータルライフのアドバイスを心がけました。
また、知識を蓄えるために商品のルーツを辿りました。
例えば、とらやの竹皮羊羹は竹皮がなぜ割れないのか、実際に御殿場の工場で見てきたこともあります。

外商マンとして大切な5つのこと

苦労をしながらもお客様を作ってきた経験。
そこから大切な5つのことに辿り着きました。
1つ目にお客様の前は舞台であること。
お客様に信頼していただくためには見た目から。
よりお客様に好印象を持っていただく工夫が必要です。
身なりで判断されるので、どの年代の方に会うかによって舞台衣装となる服装を変えます。
2つ目におまけを付ける気持ち。
百貨店で物品のおまけをつけることは難しいのですが、例えば贈答品で中華まんを選んだお客様に「私はこの品が大好きです、先方様はお喜びになりますね」、など言葉のおまけを付けることはできます。
3つ目に気配りのキャッチボール。
お客様のお住いの近くで災害が起こった際にわずか1分でも電話をすることで、いつも気にしていると相手に伝わります。
また、大安吉日にお祝いの品をお届けすることや、二十七宿吉凶に合わせて物事を提案することで信心深いお客様にも喜ばれます。
4つ目に担当商品を勉強すること。
「せんもんてん」として「千」の質「問」に答えるスペシャリストになれるように日々の商品知識の勉強が大切です。
5つ目にお客様の秘書役に徹する。
どんな時も、お客様が困った時の良き秘書役として動くことを心がける。
仕事以外のことで連絡いただくことは、お客様に秘書として認めていただいた証では、と思っています。
この5つを回すことで完成形に近づけていきました。

ドラマ化と経験から

そういえば2015年に私のエピソードが「上流階級~富久丸百貨店外商部~」とドラマ化されました。
何人かのお客様から私がモデルだと気づいて連絡をいただいたのです。
物を売りつけることは1回買って縁の切れ目です。
お客様が買いたいと思った時に顔が浮かぶように、トップセールスというよりもベストセールスマンとして良き秘書役を目指しました。
25歳の時、三井物産の社長から「人生はVSOP」と言われました。
Vitality-20代は元気、Specialist-30代は専門家、Originality-40代は自分流、Personality-50代以降は人間性。
お買い上げいただいたお客様は第一番の応援団長です。
外商として働いている時は多くのお客様から、「我が社へ来ないか」と誘って頂きました。
それでも三越を選んだ理由は、1人だけのお役に立つと、ほかの数千人のお客様が困ってしまうからです。
今思うと正に「何でも屋」を生業としてきました。
お客様作りは手間暇かかることです。
お客様あっての商い。
それだけの対価をもらっていることを忘れてはいけません。

取材を終えて・・・

待ち合わせ場所に颯爽と入ってくる姿から、普通の方とは明らかに違うオーラを放たれていた。
丁稚奉公の様な感じで三越に入社され、引退されるまで日本橋から転勤が一度も無く退職もスムーズに行かなかったとお聞きした。
それは伊吹さまの日本橋三越に対する貢献度が計り知れなかったのだと容易に推察される。
インターネットも無い時代、お客様と同様の知識を身に着けていく事も容易では無いはずだが、一つ一つの仕事に対する姿勢が外商とお客様を超えた人間関係に繋がっていったのだと思う。
人間関係が希薄になりつつある現代において伊吹さまのような営業マン(社員)が企業側からも求められている。
一度、伊吹さまのお話を直接聞いてみる事をお勧めしたい。


プロフィール

伊吹 晶夫(いぶき あきお)
開拓顧客700家族、3000人の三越伝説のトップ外商。
高校卒業後18歳で三越に入社、43年間転勤無しで日本橋の三越で働く。
トップセールスマンではなくベストセールスマン、良き秘書役としてお客様に寄り添う姿勢を大切にする。今もなお当時の多くのお客様から頼りにされる存在であり、交流が続いている。
現在は自身の経験を生かし人材育成、顧客開拓アドバイザーを務め、講演会も行う。更に葬祭カウンセラー・終活カウンセラーの資格を習得しエンディングカウンセラーとしてお客様の葬儀をプロデュースするなど各方面で活躍している。

◆オフィス ミライング オフィシャルホームページ
https://www.office-miraing.com

◆著書『外商の真髄』(講談社)
http://amzn.to/2uoUgrk

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