高校1年生でヨーヨーの世界チャンピオンになり、世界タイトルを獲得し続けるスゴい人!

父親の影響で始めたヨーヨー

アクロバティックな動きとヨーヨーとの出会い

失敗した時こそ気持ちの切り替えを上手く

本日のスゴい人は当時15歳、高校生でヨーヨーの世界チャンピオンとなったスゴい人!
現在、現役大学生でありながらすでにプロ活動歴は5年を超え、学業とヨーヨーパフォーマーの二足のわらじを軽快に履きこなす20歳。
ヨーヨーの技術のみならず、その恵まれた運動能力を活かしてアクロバティックなステージで観客は想定外の驚きに包まれる。
子ども時代に誰もが一度は経験するヨーヨー遊びを、彼はどのように成熟させ、驚くべきスピードで世界の舞台に立つようになったのか。

さあ…
ヨーヨー世界チャンピオン
高田 柊様の登場です!

父親の影響で始めたヨーヨー

家の近くに大きな公園がありまして、毎日友達と外で遊んでいました。
“どろけい”や鬼ごっこなどをよくしていましたね。
ポケモンが流行していた時代はポケモンゲームもしましたし、学校も大好きでした。
活発な子どもでしたね。
マット運動も得意で、学校でもできる方だったと思います。
ヨーヨーとの出会いは、父親からです。
父親が趣味でヨーヨーをやっていたので、ブランコや犬の散歩などの技を見て、すごい!と思ったのが最初です。
父親に追いつきたくて、一生懸命練習しました。

大人に混じっての練習

親子で共通の趣味を持っていましたから、自宅のある静岡県から月に1回は愛知県でのヨーヨー練習会に家族で参加していました。
ハイパーヨーヨーなどのブーム隆盛期は僕が生まれる少し前のことでしたし、当時は僕の周りの友人でヨーヨーをやっている子はいなくて。
この月に一度の練習会でさえも同年代は不在で、大人に混じって練習をしていました。
ずっと父親が一番うまいと信じてヨーヨーをやってきたので最初は驚きましたね。
この練習会ではいつも、見たこともないヨーヨーで、見たこともない技をする大人達がたくさんいて。
教えてくださいとはやはり恥ずかしくてなかなか言えなくて、父親が僕の代わりに声をかけてくれていました。
ヨーヨーの技術では、小学校3、4年生で父親を超えたと思います。
初めての大会への正式なエントリーもやはり小学校3年生の時です。日本大会へ進出しました。

プロの道を目指すきっかけ

ただ楽しくて上達したくて続けていたヨーヨーですが、具体的にプロのプレイヤーを意識し始めたのは、中学校2年生でヨーヨーの全日本大会で準優勝した時です。
憧れだったヨーヨーファクトリーからスポンサーになっていただけるという話がありました。
僕のエントリーした2A部門というのは、2つのヨーヨーを使ってプレーすることが条件なのですが、各種ある部門の中でも職人芸に近いと言っても良いほど、ヨーヨーの経験年数が比較的技術に比例しがちな部門です。
その中で弱冠14歳の僕は相当に珍しかったと思います。

アクロバティックな動きとヨーヨーとの出会い

もともと体を動かすのが大好きな性格でしたから、基礎体力はありましたし、バック転は中学校くらいの頃からできていました。
それを見た父親にヨーヨーとの組み合わせをアドバイスされて、試しにやってみたら手応えがあったんですよね。
高校受験の合間に練習したりしていました。
高校生になって初めて大会でアクロバティックな動きとヨーヨーとの組み合わせが成功して、そこから僕のスタイルを確立していきました。
アクロバティックな動きとヨーヨーと、さらにキャッチーな音楽を組み合わせ、いかに客席の人を喜ばせるかということを意識していつもプレーするようになりました。
パフォーマーとして、ステージ上で何をすべきかを考えるようになりました。

どうしても出来なかった難しい技

小学生の時に取り組んだ技がとても難しくて、この時はもうヨーヨーをやめようかと悩みました。
ヨーヨー人生の中で一番辛かった時期です。
ウーキーファウンテンという名前の技なのですが、本当にできなくて。
片手で輪を描きながら、その動いている腕にもうひとつのヨーヨーの糸をかけるという、両手で2つのヨーヨーを使ってやる技です。
これは2A部門という僕のエントリーする部門では、1つの登竜門のような技で。
これができなければその上のステップには行けないという意味合いがあるので、決して素通りすることはできない、レベルアップを図るためには必ず克服しなければいけない技です。
何度やってもできなくて、できるようになるのに半年くらい費やしました。
コツをつかむために、他の技のキレや精度を高める練習や、似た技を新しく習得したりして、様々な工夫を試みて、時には気持ちを切り替えながら根気よく練習を続けました。
苦しんで、苦しんで習得した技です。
今では目をつぶってもできるようになりましたが。
この技で10年苦労されている方もいるので、幸運な方だったと思います。

失敗した時こそ気持ちの切り替えを上手く

大会で特に失敗したときこそ、気持ちを切り替えることを意識しています。
2014年にエントリーした日本大会で、曲のスタートと同時にヨーヨーを投げたその時に糸が切れちゃって。
糸切れは減点対象です。
その瞬間に「あー。もう優勝はできないな」と思いました。
メンタルも崩れながらも3分間、演技を続けました。
練習時でさえも3分間の中で糸が切れる事もあります。
特に真剣勝負の競技中は糸の限界まで挑戦しますから、本番で糸が切れるか切れないかは誰にもわからない。運ですよね。
でもそこから、減点分を克服するために難しい技を入れたり、アクロバティックな動きを追加したりしてなんとか手に入れた結果は2位。
この時に得た経験は非常に大きいですね。

“おもちゃ”のヨーヨーを“かっこいい”に

子どもの遊びだって真剣にやればスポーツになる。
僕のパフォーマンスを見てヨーヨーに興味を持つ子どもが増えて、今までのヨーヨーのイメージを変えていくような活動を今後は行っていきたいです。
最近、ヨドバシカメラさんに競技用の商品をおいてもらって、ヨーヨーイベントを開催しています。
また保育園や公民館でもヨーヨー教室などを開催しています。
ゲーム機器やバトルカードで遊ぶ現代の子どもたちに、ヨーヨーで遊ぶ楽しみを発見して欲しいと考えています。

取材を終えて・・・

所属する大学の構内で取材させていただきました。
梅雨の晴れ間、緑が清々しいキャンパスでお話を伺いました。
熱心に勉学に励む学生の姿が周りにはたくさん。
彼は世界チャンピオンという輝かしい経歴を持つ一方で、本当に一人の大学生なのだなと実感しました。
ヨーヨーの楽しさを伝えたいと真っ直ぐに前を向いて話す高田さんの姿からは、彼の純粋さと正直さが伝わり、きっと彼なら実現できると思いました。


プロフィール

高田 柊(たかだ・しゅう)
1996年10月生まれ 静岡県出身
横浜市立大学 在学中
ヨーヨーファクトリープロチームメンバー
2012 年 世界大会 2A 部門優勝
2013 年 世界大会 2A 部門準優勝
2015 年 全日本ヨーヨー選手権大会 2A 部門準優勝
2015 年 世界大会 AP 部門優勝、2A 部門準優勝
2016 年 全日本ヨーヨー選手権大会 2A 部門準優勝
2016 年 世界大会 2A 部門優勝 ・・・他入賞、優勝多数
本人をモデルとした高田柊ヨーヨーが世界各地で販売中。

◆高田柊公式サイト http://www.shutakada.com/

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