ブレイクダンスのジャックハンマーでギネス記録を保持するスゴい人!

病弱で人見知りだった幼少期

親友が遠くに行った寂しさのあまりうつ病に!

自分のやりたいことを実験するのが人生である

本日のスゴい人は、ブレイクダンスのジャックハンマーという技でギネス記録を持つスゴい人。
ジャックハンマーとは、地面に片手をついて全身を浮かせた状態で回転する技。
彼は青森県で生まれ育ち、ほぼ独学でブレイクダンスを習得。
世界に誇れる技術を確立した、まさに現代の職人である。
そんな彼は輝かしい20代前半の何年かをうつ病と戦いながら過ごした。
彼はいかにしてその試練を受け入れ、また克服したのか。
ここに彼自身がこれまで戦い、苦悩してきた軌跡が語られている。

さあ…
実験道場
RYUTA様の登場です!

病弱だった幼少期

両親と姉、妹の5人家族ですが、その家族の中でも僕は特に病弱でした。
風邪もよくひいたし、発熱も多かったし。
近くにいるだけで直接触ってもいない毛虫にアレルギー反応が一人だけ出るような子どもでした。
腕が真っ赤に晴れ上がって。
また人見知りで、知人に声なんかかけられると母親の後ろに隠れて、顔を背けていましたね。
5歳くらいまでは本当に、「この子は死んでしまうのではないか」と両親には心配されていました。

活発な小学校時代

ところが小学校にあがると一転、活発で目立ちたがりになりました。
運動会では応援団長、文化祭では主役に立候補するような。
特にこれといったきっかけはないのですが(笑)
放送委員をやった時には、それまではなかった音楽を取り入れました。
小田和正さんの「伝えたいことがあるんだ」というフレーズを最初に流して、皆の注目を集めてからアナウンスを始めて。
今までに誰もやっていなかったことを取りいれて、皆にすごいと言われたり注目されたりすることが好きな子どもでした。

ブレイクダンスとの出会い

中学校2年生の時に、現在の実験道場のメンバーであり、当時同級生だったKEKKEとその兄のTAKEchanが兄弟ペアとして文化祭でブレイクダンスを披露したんです。
2人がそんなことができるなんて知らなかったので、本当に衝撃を受けました。
その時直感的に、「俺はこれをやるんだ!極めてやる!」と決めたんです。
住んでいたのは青森県の八戸ですから、情報が全然なくて。
当時はYouTubeもまだなかったですし、完全に独学でのスタートでした。
だから基礎とか応用とか全然わからないまま、順序も何もなくただただ一人で練習に明け暮れていました。
腱鞘炎は日常茶飯事でしたね。
そんな練習方法でも、中学校3年生のときには仙台大会へ出場して注目されるくらいになっていました。

親友たちとの別れ

中学卒業後、KEKKEは上京したので僕は地元で5年制の高専へ進みました。
そのうちTAKEchanも上京して、僕は一人地元に残っていたんです。
親友たちとは別々の道を歩むことになりましたが、東京でブレイクダンスのイベントがあると、僕も上京してイベントへ参加するという日々が続きました。
19歳の時にはBBOY PARK solobattleのバトルイベントで準優勝しました。
これは若手の登竜門と言っても良いイベントで、僕はJack Hammerというブレイクダンスの中でも職人芸のような技での参加でした。
でも、こんな素晴らしい結果を手にしたとしても、やはり中学時代に大好きな仲間と大好きなブレイクダンスを練習した日々があまりにも充実していたんですよね。
高専3年をすぎて19歳の時にうつ病を発症してしまいました。

うつとの葛藤

ダンス仲間を失い、日々の張り合いが無くなって3年が過ぎたちょうどこの頃、心にぽっかりと穴があいてしまった。
うつ病の治療はとにかく「休むこと、休養すること」。
頭と体を休ませることが、生活するうえで最優先されます。
学校生活はもとより、大好きなブレイクダンスでさえ、無理は禁物。
「治療すること=ダンスを突き詰めてやってはいけない」という図式でしたから、当時はもうダンスはこれ以上できないと思いました。
ブレイクダンスが自分のストレス発散法であり、人前に出ることが自分自身の内面を放出できる唯一の手段だったのに、それができない。
僕にとっては大きなジレンマでした。
もうダンスは趣味の世界でやっていく他ないなと考えていました。
地元の自動車整備会社へ就職して、営業と事務をして過ごしていました。
結果的にうつ病の治療には4年ほどかかりました。

仲間とダンスに救われた人生

そんな日々を過ごしていた24歳の時、TAKEchanとKEKKEの兄弟が地元に凱旋ライブで帰ってきたんです。
その時に、僕にも出場するように誘ってくれて。
一緒に舞台に立ったダンスのライブがとにかく楽しくて、楽しくて。
その時にはっきりと「やりたい事をやらない方が自分にとってはストレスなんだ」と気づいたんです。
そこからは早かったですね。
僕も上京して、TAKEchanとKEKKEと一緒にダンスをやる日々になりました。
うつ病から立ち直るきっかけは人により様々ですが、僕の人生には仲間とダンスが必要だったと理解して、結果的にうつ病を克服できました。
今苦しんでいるたくさんの人達に、この僕のケースが参考になれば良いなと考えています。

実験道場で目指していること

今の僕は、自分の好きな事でお客さんにエネルギーを与えたいと思っています。
僕がそうだったように、今の時代は色々な理由で心の元気が無くなったり、込み入った問題で楽しくない時間や毎日があったりする。
一人でも多くの人の、そんな心のブレーキを外すことができたらと願っています。
僕自身がほんの少しの偶然がきっかけで、そしてそこで小さな挑戦をしたことで大きく人生が開けた。
人生は毎日が小さな挑戦のくり返しです。
誰もがみな、大人も子どもも毎日、名も無き小さな挑戦をくり返しています。
2015年に結成した実験道場は、その名のとおり人生における小さな実験を繰り返し、披露するグループです。
それは毎回実験であるとともに、挑戦でもあるわけです。
僕自身においても実験道場結成後にJack Hammerで連続75回というギネス記録を保持しており、さらに113回へ記録を更新中です。
僕たちのちょっと滑稽だけど、真剣に何かに挑戦する姿は、そのまま人々の人生のあり方に繋がると思っています。
そう思えたならきっと、お客さんは観劇後の何気ない日常の中で、それぞれの小さな実験に挑戦できる。
そんなステージで有り続けたいです。

取材を終えて・・・

爽やかな好青年。
幼い頃の出来事は、はにかみ笑いを浮かべつつ話してくれました。
和やかな対談の中、こちらも予想だにしていなかったうつ病の過去の日々。
「書いても良いのでしょうか」と尋ねると、「構いません」とはっきりと。
柔らかな物腰の根底にしっかりと自身の人生を見据えた、彼自身の覚悟を感じました。
貴重なお話を拝聴し、私自身が心を揺さぶられるような感覚を覚えました。
今後の更なる活躍を心から応援しております。


プロフィール

RYUTA
青森県八戸市出身。
実験道場パフォーマー。
ブレイクダンスジャックハンマーギネス記録保持者(75回)
◆実験道場公式サイト http://jikkendojo.wixsite.com/comedian

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