難病に侵されながらフルート・オカリナ演奏講演で33万人を感動させるスゴい人!

突然の発病、絶たれる音楽の道

絶望の淵から繰り返し突き落とされ、それでも生きる

誰かの人生を少しでも支えられるなら

「クローン病」
名前を聞いたことがあっても、どんな病気かはあまり知られていないのではないだろうか。
大腸及び小腸の粘膜に慢性の炎症または潰瘍を引き起こす原因不明の疾患。
そのクローン病により何度も入退院と手術を繰り返しながらも、生きること、音を奏でることを諦めなかった女性がいる。
15年間で全都道府県をまわり、1,500回にわたる講演活動で33万人を動員。
病魔に侵されながらも明るく輝く今の姿を、どのようにして手に入れたのか。
彼女が絶望の淵から這い上がった、その軌跡を辿ってみよう。

さあ…
フルート・オカリナ奏者/講演家
さくらい りょうこ様の登場です!


進路に困って音楽の道へ

幼稚園の頃からピアノを習っていましたが、小学生の頃にリコーダーに目覚めました。
リコーダーを吹いているのが楽しそうに見えたようで、中学生の頃に運動も勉強も出来なかった私の進路に困った親がフルートを買ってくれたのがきっかけで、フルートを始めました。
私は褒められたら伸びるタイプで、フルートの先生が上手に褒めてくださるので、どんどん上手になりました。
音楽大学へ進むのですが、周りの人たちの上手さに驚きました。
自分はフルートが上手だと思っていたのに大学ではそうではなく、自分の立ち位置を見失ってやる気をなくしました。
けれど先輩を見ているうちに、プロになるための道筋が見えてきて、クラッシックのフルーティストを目指すと決めました。
そのためには世界のコンクールで入賞しなければなりません。
それを目標に着実に演奏能力を磨いていた最中に発病したのです。
大学4年生の頃でした。

突然の発病、絶たれる音楽の道

長い間腹痛が続き、1ヶ月で15キロも痩せたので病院に行きました。
誤診も多かった当時、たまたますぐに病名が分かったのは幸運でした。
すぐに緊急入院して、その後も入退院を繰り返しながら大学へ通いました。
けれど、卒業後に決まっていたフランス留学にドクターストップがかかってしまいました。
海外が駄目だったら国内でと頑張ったのですが腸閉塞が破裂し、命の危機に瀕しました。
そのあまりの死の恐怖に、これ以上は無理だと思いました。
何よりも、その手術の間に一つ本番に穴を開けてしまったのです。
それが凄く大きかったです。
病気でこれ以上迷惑をかけては駄目だと思い、音楽を辞めました。
そうしたら、明日も明後日も何もすることがなくなるのです。辛かったです。生きているのかどうかさえわからない。
精神科に通い始めて、たくさん薬を貰って。
余った薬の山を前にして、これを飲んだら死ねるのかな、とそんなことばかり考えていました。
その状態が5年くらい続きました。

絶望の淵から繰り返し突き落とされ、それでも生きる

そんな時に阪神淡路大震災が起こります。
あの大震災の中で、神戸に住んでいた私は無傷で生き残りました。
私は思いました。
家があり傷もなく暖かいものを食べることができる。
普通にそこに自分が生きていられる。
夢がどうとかじゃなくて、生きるってもっとシンプルでいいんじゃないかって。生きていこうって。
働かなければと意識が変わり始めました。
けれど、仕事をしようと思ったら病気が再発してまた手術をすることになってしまったのです。
絶望の淵にいる私を更にどん底に突き落とす。
病気ってこんなことをするのだなと思いました。
不思議なのですが、そこから私に力をくれる人が次々に現れるのです。
同じ病気の人たちがお見舞いに来て、私のことを凄く叱ったのです。
「自分で生きようとしなければ、人生は何も変わらない」と。
そして、「東京の病院の専門医に診て貰った方がいい」と。
看護師さんも「一番良い治療を受けなさい」と言ってくださいました。
外科の先生も「日本一の治療を受けてこい」と言って外に出してくれたのです。
それがなかったら今の私はありません。
ひとりひとりに力をもらって初めて東京に行きました。
日本一の先生に手術をしてもらって目が覚めた時に、私は「絶対に生きる」と決意しました。
絶望の淵から何度も突き落とされて、音楽の夢も諦めて。
もうこれ以上悔しい思いはしないぞと。
悔しさが生きるエネルギーに変わった瞬間でした。
ここまで生かしてもらったのだから、絶対生きてやると決めて神戸に帰りました。

運命が変わる時

生きるために働くといっても、音楽活動はもう無理だと思っていました。
そこで病気になってから初めて友人に助けを求めて、事務所で働き始めました。
その後は何回か仕事を変えるのですが、音楽の裏方のお仕事をしていた時に難病の人が頑張っていると神戸の情報誌で取り上げられました。
それがきっかけで「本当はフルートを吹きたいんじゃないの」とステージに立つチャンスをくれた方がいました。
お話を頂いた時、フルートはもう7年も吹いていませんでした。
2週間後のステージ。絶対に吹けないのは分かっていましたが、意を決して引き受けました。
本番を迎え「もう駄目だ」と思いながらもステージに立ち、スポットライトが当たった瞬間、嬉しくてたまりませんでした。
やっと、この場所に戻って来られたのだと。
それからは次から次へとテレビや雑誌の取材が舞い込むようになりました。運命が変わった時でした。

夢だった本の出版。奇跡の連なり

7年ぶりに立ったステージで、自分の辛かったことや嬉しかったことを話したのですが、テレビや雑誌で取材された時にも病気に関する話をすることが多かったです。
人権講演会にも呼ばれるようになって、音楽家としての活動とともに、講演家としての活動も重ねていきました。
講演で、私が一番辛いときに助けてもらった言葉などをお伝えするのですが、その場にいらっしゃる方だけにしか伝えることができません。
その場にいない方たちにも伝えたい、自費出版でも本を出したいと夢を抱いていた私に出版プロデューサーをしている会社があると教えてくれた方がいました。
すぐにその会社の出版セミナーに参加したのですが、その時は行動に移しませんでした。
しかし、その後3,000人規模の講演会の講師に内定した私は、この講演会までに本を出版すると決めて行動を開始します。
「来年の4月20日までにどうしても本を出版したい」とその会社にメールを送りました。
申し出を受け入れて頂き、企画書など書いたこともない私をサポートして企画書を仕上げてくださって、出版社の方も異例のスピードで企画を通してくださって。本当に奇跡の連続でした。

誰かの人生を少しでも支えられるなら

そして、本当に4月20日までに本が出来上がったのです。
夢が形になるってこういうことだと思いました。
この本が流れを変えてくれると思うと、これからの人生にワクワクしてきて、本当に心から生きていて良かったと思いました。
私は辛く苦しい時期を生き抜いてきた中で、本当に有り難いことに多くの人に支えられました。
大切な言葉を頂きました。
本を読んでもらうことで講演に来ることが出来ない方たちにも、その言葉をお伝えすることが出来ると思うと夢が広がりました。
病気を恨み続けてきましたが、本の中の言葉が一つでも心に残って、本を手にした方の人生に少しでも寄り添えたらなら、難病になった苦しさや悔しさにやっと晴れ間が差し込みます。

取材を終えて・・・

難病を抱えているようには全く思えないくらい、元気で明るい方でした。
ヨーロッパへの切符を手にして夢の1歩を歩み出す瞬間に、難病と共に夢の扉を閉められた。
頑張ろうとすると発病するという。
前に進もうとする度に閉ざされるなんて苦しくて仕方がない。
取材当日に出来上がったCD付きの著書を頂いた。
素敵なメッセージと音楽が詰まっているCDでした。
1日をスタートする前に聞いても良いかもしれません。気分が落ちているときにも良いでしょう。
本とメッセージと演奏が収録され1,380円(税別)は格安です。
夢を持って輝く人生を歩んで行こうと思えるご縁でした。


プロフィール

さくらいりょうこ
大阪音楽大学卒業後、全国で演奏活動を展開。
将来を期待されるが、在学中発病した厚生省指定難病「クローン病」の悪化により、演奏活動を断念。
7年間の閉じこもりを経て、社会復帰とともに音楽活動を再開する。
メッセージトークコンサートは、すべての都道県で1,500回近く開催され、これまでに33万人以上の人々に感動を与えてきた。
神戸弁でのトークは「優しさ」と「癒し」を感じ、その中で発せられるメッセージは聴く人の心に響くと評価されている。
難病を乗り越えての演奏活動は、様々な新聞や雑誌、また、フジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」、テレビ東京「生きるを伝える」、日本テレビ「24時間テレビ」などで取り上げられている。

◆著書『あしたを生きることば』 33万人が涙! いのちが震えるフルート・オカリナ・メッセージCD付
http://amzn.to/2rhfaCZ

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