日本初!お寺で哲学(親子で学ぶ哲学講座)を創り上げたスゴい人!

医学部三段活用!?

医学に進むのをきっぱり止めた瞬間

生徒の死がさらなる人生の転換へ

一般的に大学の医学部を目指すとなると、かなり勉強し、苦労が伴うはず。
しかし今日登場するスゴい人は3つの大学の医学部に合格し、最終的には哲学者への道へ進み出す。
ただ、彼は人生の決断をする時に大切にしている事があるという。
彼の大切にしていることは理にかなっているはずだ。
波乱万丈な彼の人生から人が悩む理由を教えてもらおう。

さあ…
てらterra
代表取締役
大竹 稽様の登場です!

一人で過ごすことの多かった子ども時代

学校に飾られていた、学校長である祖父の写真は「教育勅語」「天皇陛下」、その隣でした。
そして剣道の達人でもありました。
自分は剣道の匂いや汗臭さが嫌いで弓道を選びました。
サッカー、水泳、相撲、陸上と運動はなんとなく出来ました。
祖父が有名人過ぎて先生からも一目置かれ、同級生からは村八分や無視されたり、いじめにも遭いました。
だけど、幸いにも一人が好きな子どもでしたので意外と平気でした。
子どもの頃は山に入りカブトムシを捕ったり川で泳いだりしていました。
中学・高校も一人で過ごすことが多く、野山を散歩したり、お寺の境内で読書をしたりしていました。
家には古事記、日本書紀、ヨーロッパの詩集があり、子どもの頃から読めずともなんとなくファンタスティックな世界に触れていました。
ある日、山の中でクワガタを探していると、不思議な声が聞こえました。
最初はおじいさんが「お〜い」と呼んでいるかと思って気にしなかったのですが、30分近くも続き、耳を澄ますと言葉にならない声が聞こえる…気持ち悪い体験でしたね。
特に霊感はないのですが、子どもの頃の不思議な体験の1つです。

医学部三段活用!?

尊敬していたおじが若くしてガンで亡くなりました。
親戚の中でも出世頭で、世間のお役にもたっていた叔父の死はショックであり、見舞に行った病院で「ガンを完治できる世の中にしたい」と医者を目指す決意をしました。
名古屋大学の医学部に合格したのですが最初の健康診断の時、名古屋より広い世界である東京に行きたくなりました。
名古屋大学には殆ど行かず、翌年慶應義塾大学の医学部に合格しました。
半年ほど通った頃、同級生に誘われ、田舎では見たこともない立派なレストランに行きました。
支配人は「いつもお世話になっています」と頭を下げ、彼は代金をカードで支払いました。
勿論、彼は嫌味もなく自然な振る舞いでしたが、その瞬間「この人達とは違う」と感じて、もっと普通の学生がいる大学に行きたくなり、翌年東京大学の医学部を受験し合格しました。
こんな風に、一年毎に医学部を受験し、自然と医学部の三段活用となりました(笑)

医学の道をきっぱり止めた瞬間

東大の医学部に5年通ったある日、一人の女性が妊娠しました。
彼女は出産でキャリアが中断するのが嫌な向上心の強い人だったので、中絶を選択しました。
病院に行き、淡々と機械的に医者が中絶を行ったそうです。
この瞬間「医者は僕の進む道じゃない」と思ってしまったのです。
医者って、赤ひげ先生みたいに人間味あふれる存在であるべきだと思っていたのです。
医者は命を救えたとしても、人の人生までは救えない。
後先も考えず、留年もしていたので3年生の夏に退学しました。

生徒の死がさらなる人生の転換へ

大学を辞め、予備校の講師になりました。
数学・物理・化学を教え、英語や国語から最終的に小論文も教えていました。
ある日、出勤すると生徒が自殺したと聞かされました。
直接の教え子ではありませんでしたが、ショックを受けました。
脱線ばかりする講師でしたので、生徒から人気でした。
人って身近すぎる相手にはなかなか本音は話せず、接点が少ない方が気軽に話せる所があります。
自分はそんな相手になれたはずなのに、何をしていたのかと自分を責めました。
それがきっかけで、大学で哲学を学ぼうと思いました。

再び東大に入学し、哲学を学ぶ

学習院のフランス文学科に入学して卒業し、東大哲学科に入り直したのが40歳近く。
哲学からは逃げないと腹をくくっていました。
フランスの思想家は良い意味で曖昧で、ロマンチックなのです。
ドイツの哲学者は人間関係を断つ人も多いのですが、フランスの哲学者は愛について語る。修士論文を出す時に研究していたフランスの現代思想家が、やたらと「禅」の話を持ち出していました。
「我々の世界観を打破するきっかけが“禅”にあるのではないか?」 というのです。
それならば次は「禅」を研究しようと思ったのです。

お寺に“殴り込み”!?

禅僧は実践を求めます。
お寺に講話を聞きに行ったりするうちに、この和尚の話を直接聞きたいと思ったら手紙を書き、布石を打った後に会いに行く事を始めました。
1割ぐらいのお寺は門を開いてくれます。
そんな事をする人はあまりいないらしく、僕のやり方を「殴り込み」と表現した和尚もいました(笑)
僧侶にならないのか?と聞かれますが、在家の立場からお寺をサポートしていくのが僕の役割だと思っています。
親子哲学講座のご縁を頂いたのは、三田にある龍源寺さんでした。
このお寺は福沢諭吉が寺子屋を開いていたお寺でもあるのです。

日本の教育に必要なこと

親が本を読む人であれば、子どもも自然と本を読みます。
勉強しなさいと言うだけで勉強しない親の子どもは、当然勉強しません。
子ども教育の前に、親の教育も必要なのです。
お寺で哲学では寓話を使って進めます。
寓話に出てくる登場人物の立場になってみたりして、想像力を養います。
食卓での会話は成績、友達、テレビの話題が多いと聞きますが、お寺で哲学に参加しだすと寓話の振り返りが家族で始まり、お父さんなりの自由論を話したりするそうです。
親も実体験の中から色々と考えて生きて来たわけで、子どもに伝えたい事も沢山あるはずなのです。
子どもも親が思っている以上に哲学的思考を持っています。

思うより行動すること

人は思ったり願ったりするだけでは、なんともならないのです。
気づいたら後先考えずに動くというのが、僕のやり方。
考えすぎてしまう人が多いですが、言葉にしたり、行動した方が実は楽なのです。
「結果を推論する前に動いてしまい、後は流れに任せてしまう」事も世の真理ではないですが、気楽に過ごす1つの知恵かと思います。
人って本来の自分があるわけではなくて、動くことによって、ようやく自分というものが見えてくるのです。
思い続けた事ではなく、行動し続けた結果がその人の人生を創り上げます。
僕はこれから全国に、お寺本来が持つ教育の場としての哲学教室を広げたいです。
合わせてお寺を核に伝統工芸などの職業とも触れ合える、広い意味での教育現場を作り上げたいです。
そして何より、核家族になり人の死が遠くなっている現代、人の死を身近に感じることで命の尊さを深く理解する子ども達を増やしてゆきたいです。

取材を終えて・・・

ハットを被った風貌、有名大学の医学部から哲学の道へと進んだという経歴から、非常に個性的で難しい考えをされている人なのかもしれないと思っていた。
しかし、会った瞬間にそうではないと思えるくらいの笑顔を向けられ、懐の深さを感じた。
とても話しやすく、時間があるならば取材から脱線してゆきたい話題が幾箇所もあった。
医学から、その真逆とも言える哲学の道へと転換されたことは、一見ハチャメチャに思えるかもしれないが、一貫したテーマは「命」である。
医学は人の命を救い、人は哲学という思想を携えることで生きる意味を探し、生きる価値を見つけ出すのだろう。
心に蓋をしてしまい「生きているけれど死んでいる」状態ではなく、生きている限り素直な自分の心に耳を澄ませ、行動し続ける事がその人らしい人格と人生を創り上げるのだと思った。
大竹さんが繰り広げる教育論はまだまだ深く、そして予想も付かない広がりをもたせるだろう。

プロフィール

大竹稽(おおたけ・けい)
モラリスト、作家。てらterra(株)代表取締役。産経子供ニュース編集顧問
平成28年東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程中退
1970年愛知県生まれ。旭丘高校から東京大学理科三類に入学するも、医学に疑問を感じ退学。その後、私塾を始める。現場で授かった問題を錬磨するために、再度、東大に入学し、そこでフランス現代思想を研究しながら、禅の実践を始める。お寺で哲学教室を開きながら、著作や連載を通じて、道徳と死の問題に挑んでいる。
「お寺で哲学」開催地
港区三田龍源寺、目黒区五百羅漢寺、江東区深川慧然寺、渋谷区広尾香林院、鎌倉正統院ほか
詳しくはFB「お寺で哲学」ページにて告知しています
大竹稽著書(Amazon) http://amzn.to/2ofnHsn

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