世界的なダンスフェスティバルで最優秀賞を2年連続受賞したスゴい人!

ルーツはバックトゥーザフューチャー!?

人生を変えた高3の文化祭

成功がきっかけで生まれた挫折

そのパフォーマンスは全く重力を感じさせない。
もはやダンスという域を超えて世界中を魅了するダンスユニット。
その唯一無二のパフォーマンスはどのような環境から生まれたのだろうか。
さぁ、世界を魅了するパフォーマーの人生に迫ってみよう。

さあ…
しょぎょーむじょーブラザーズ
Toshi-Rock様の登場です!

ルーツはバックトゥーザフューチャー!?

小学校4年生までは明るい子でした。
また、とにかく食べることが好きで、祖母からお相撲さんになりなさいと言われていたぐらいです。
ダンスに興味を持つのはまだ先のことですが、ルーツといえるような話があって、母に勧められて見たバックトゥーザフューチャーにはまって、毎日見てはギターを弾くシーンを真似していました。
人前で何かをして笑わせることが楽しいと思ったのは、これがきっかけだと思います。

明るい性格が一変

小学校4年生の時に転校を経験しました。
前の学校では、自分が騒いでも周りも合わせてくれていたんですけど、少し受け入れられなくなって、自分は面白くないのかなと思い始めました。
そして、中学に入る頃には思春期もあいまって、すっかり引っ込み思案な性格になってしまいました。
心の中では変わらず目立ちたいと思っていても、自己主張が思うようにできませんでした。
そんな時、友達が文化祭でDA PUMPを踊っていました。
盛り上がりがすごく羨ましくて、でも友達にダンスをやりたいとは言い出せず、こっそりDA PUMPのビデオを買って一人で練習をしていました。

ブレイクダンスとの出会い

高校に入ると同じクラスにDA PUMPが好きでダンスを始めたいという友達ができました。
二人ともどちらかというと地味なんですけど、「文化祭に出よう!」と盛り上がって。
高1の文化祭でDA PUMPの”ごきげんだぜ”を踊りました。
練習期間は2ヶ月ほどだったけど、とてもキャーキャー言われましたね。
それからも週一で休みの日に集まっては練習を続けました。
ただなぜか高2の時は文化祭に出なかったんです。
やっぱり張り合いがないというか面白くなくて、彼と話して高3の文化祭はブレイクダンスで出ようと約束しました。
これがブレイクダンスを始めたきっかけです。

人生を変えた高3の文化祭

僕の兄はとても頭が良くて、北海道大学に進学しました。
僕も同じように期待をかけられていたんですが、ダンスを始めてから「兄と一緒でいいのかな」と思い始めました。
ある日、親に将来どうしたいのか聞かれ、「ダンスをしたい」と話しました。
「ダンスで食べていくなんて無理だ」と言われてしまいましたが。
そんな中、高3の文化祭でブレイクダンスを披露しました。
これまでにないくらい盛り上がり、高1から積み上げてきたものが実になって本当に夢のような時間でした。
その文化祭で優勝した時「ダンスで生きていこう」と決めました。
そして親にもう一度ダンスを続けたいと話し、ダンスの専門学校に行かせてもらうことになりました。

このままで良いのだろうか

僕の中でのダンサーのイメージは、下積み時代はクラブで働きながら、ステージに呼ばれてダンスを披露して喝采を浴びるような、華やかなものでした。
でも実際はすごく地味で、毎日練習して、ダンサーだけが集まる場で披露して、勝敗を決めるような世界。
でもやっぱり自分が求めている世界と違うと思い始め、専門学校を1年で辞めて、ダンスが熱いと聞いていた大阪に行きました。

自分らしさを模索する日々

大阪に行けば何かが変わると思っていました。
札幌に比べてダンスの世界は広くなったものの、そこにある世界観は大して変わりませんでした。
その頃から、自分の力でそういった世界を壊して、新しいダンサーの形を作れないか考え始めました。
もっと外に向けて発信したいという思いから、ストリートパフォーマンスをするために人を集めましたが、みんな仕事などで集まりも悪くて。
そんな時、僕がダンスと改めて向き合うきっかけとなる出来事がありました。
椎間板ヘルニアです。右足が上がらなくなって手術をすることになりました。
でも当時の僕には手術代を出せるはずもなく、親に連絡しました。
すると、「今回は出してあげるけど、次怪我した時は知らないよ」と言われたんです。
もっともだと思いました。手術後にベッドの上で、札幌に帰ることも本気で考えました。
でもここまで続けてきたダンスだから突き詰めようと決心して、一人でSHOWを始めたんです。

運命の出会い

思考を凝らして考えたソロSHOW「PASSION TIME」を軸にストリートで活動しましたが、鳴かず飛ばずでした。
それでも、カフェやお好み焼き屋でバイトをしながら続けていました。
20代後半に差し掛かって、そろそろ本気で結果を出さないとヤバいと思い始めていた頃、HIDEから連絡があったんです。
HIDEとはダンスの練習場所が一緒で知り合ったけど、タイプが違うので一緒に踊ったりはしていませんでした。
彼は10人くらいのダンサーを集めて、舞台のようなエンターテインメントショーをやろうと考えていました。
ショーを作り上げるために、10人でミーティングを始めましたが、僕以外のダンサーはエンターテインメントというより、ダンスそのものの技術で勝負したい人たちだったので、結局残ったのは僕とHIDEだけでした。
そして、2011年しょぎょーむぎょーブラザーズが生まれました。
HIDEと組んだ瞬間から世界が一気に広がり始めました。
2011年にSEACLE大道芸コンテストで優勝したり、泉佐野市長賞をもらうなどこれまでに沢山の賞を頂き、順風満帆に進んできました。

成功がきっかけで生まれた挫折

僕が挫折を感じているのは、実はここ最近なんです。
目標にしていた賞を頂き「次、何する?」という話になりました。
営業の仕事はあるからパフォーマンスで食べていくことはできます。
常に新しいことをしていきたいけれど、その為には何かとお金がかかります。
自分たちにそこまでのお金はないけど、ネクストステップに進むために決断したのが昨年9月の上京です。
でも、僕が大阪に行った時と同じことが待っていました。
結局上京するだけでは何も変わらないんです。
東京に来たら何か開けるなんて、なめていてたなぁと思い、改めて自分たちが何をやりたいかを話し合いました。今も迷いながら進んでいます。

自分自身が本気でやりたいと思えるか

僕は、世の中の流れに合わせて、空気を読むことはしたくないと思っています。
最近はしょぎょーむじょーブラザーズの名前が少し知られてきて、このままやっていけば上手くいくかなと思っている自分に気づきました。
でも、流行りとかやれば上手くいくことではなくて、自分が本当にやりたいと思えることだけやっていきたいんです。
Toshi-Rockとしてのあり方をブレさせないことだけを考えています。
技術は二の次で、とにかく情熱を出すことが僕のポリシーです。
僕のパフォーマンスの軸は表情。
でも常にオンじゃなくて、引くところは引きオンオフをつけながら表情で惹きつけるパフォーマンスを心がけています。
これからもありのままの自分を出して、勝負していきたいです。

取材を終えて・・・・・

力強い語り口で話すToshi-Rockさんはとても信念を感じる方でした。
現在のビジネスシーンにおいて、世の中の流れを感じ柔軟に展開することはとても大事なことです。
でも、自分の根本の大事な部分をいかにブレさせずに持ち続けられるか。
その大事さをToshi-Rockさんから教えていただきました。

プロフィール

Toshi-Rock(としろっく)
しょぎょーむじょーブラザーズ

重力を感じさせない想像を超えた組体操と鍛え上げられた肉体が奏でるブレイクダンス。
技のHIDE、顔芸のToshi-Rockがアクロバットを繰り広げる固定観念を超えたパフォーマンスが世界を魅了している。
2013年、2014年 ドイツのフェスティバルにて最優秀賞を2年連続受賞。
2015年2月には自身初となる単独公演を行い280人を動員。
2016年5月にも単独公演を行い、2回公演満席の640名を動員。
しょぎょーむじょーブラザーズ 公式サイト http://www.syogyomujo.com/

舞台『Unforgettable』、2017年4/6(木)~4/9(日)、上野ストアハウスにて開催!
毎公演、限定100席!
http://www.syogyomujo.com/article/8/
しょぎょーむじょーブラザーズが東京にきて記念すべき1回目の公演。
まだ少しだけ席に余裕がありますのでご来場お待ちしております。

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