「チェリオ」という名前に親しみを覚える人は、多いのではないだろうか。
これまで他の清涼飲料水に比べ、量の多さと安さで全国の子どもたちに愛されてきた。
その他にも「スイートキッス」「キッス」「セーフガード」、そして「ライフガード」という数々のヒット商品を世に送り出してきた。
斬新な商品を開発し続ける力はいったいどのようにして生まれたのだろうか。
さあ…
株式会社チェリオコーポレーション
代表取締役社長
菅春貴様の登場です!
「責任」
アメリカの大学院で博士になろうとしていた時、「簡単な仕事だから、稼業を少し手伝ってほしい」と、日本に呼び戻されました。
英語が使えることを理由に、当初は輸出部門を任され手伝っておりましたが、帰国後、歴史的な冷夏になったり、業界で一斉に値上げをする取り決めがあり、それに従い値上げをするも、他社は値上げを半年遅らせたりと、気軽なつもりで会社に入ったのに、雲行きがあやしくなっていました。
さらに、営業所の拡大も続けていたので、経営状況は最悪に。
そんな中、海外の清涼飲料のボトリング事業(大阪ペプシ、東京セブンアップ)を引き取ったのですが、このことでいろいろ苦労しました。
これはもう、自社オリジナル商品である「チェリオ」を売って頑張るしかないと決意しました。
しかし、自社オリジナル商品はすぐにはなかなか売れず、大変な状況は変わりませんでした。
しかも、輸出をしていた中近東には飲料の製造工場が多く出来始め、徐々に輸出も厳しくなり、昭和57年にはついに輸出がストップしてしまいました。
またまた困り果てていたそのとき、「起死回生の商品を一から自分で作ろう!」とパッケージデザインを自分で描き、商品をつくりました。
こうして販売したのが「スイートキッス」
夕日が沈む中、息子を抱きながら「これが売れなかったらこの子をどうすれば良いのか…」と思っていましたが、発売当日から大騒ぎの大ヒット。これが売れに売れました。
次いで日本で初めてアルミ缶350mlのスポーツドリンク「セーフガード」を発売。
大阪では特に大きいサイズが好まれたため、当時は350mlの大きい缶は評判をよびました。
ようやく波に乗ってきたと思いましたが、今度は買い取った会社の権利問題で裁判になりました。
裁判の答えの出る朝に、またパッケージデザインを自分で描き、これを商品化しようと決意。
それが「キッス」という7種類のフレーバージュースでした。
これも爆発的に売れ、なんとか厳しい状況を変えられました。
そして、スポーツドリンクに栄養成分を入れてみようと開発して出来たのが、「ライフガード」です。
自分に発明の才能があったわけじゃないんです。
苦しんでもそこで諦めず、追いつめられて生まれるアイデアで乗り越えてきました。
親父のせいにして逃げる事も出来たかもしれない。
でも、自分で選んだ過酷な道でした。
一番大事なのは、自分で選んだ道に信用を築き上げながら、自分で責任を果たすことです。
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