本日登場するスゴい人は、日本において会社を創業して株式上場まで果たしたスゴい人。
彼はニュージーランドで生まれ、日本への強い興味を持ち、18歳の頃に来日。
日本でインターネットに出会った彼はインターネットの世界に可能性を感じて、バリュークリックジャパン株式会社を創業して、日本の証券取引所に上場させた。
そして、2011年には母国ニュージーランドにおいてShuttlerockを創業し、3年間で日本、アメリカへと進出。
順調に事業を拡大している。
さあ…
シャトルロックジャパン株式会社
ジョナサン・ヘンドリックセン様の登場です!
「人の役に立つものを」
昔から、前世は日本人なんじゃないかと思うほど日本に興味があり、13歳の頃から日本語を学んでいました。
15歳の頃に遠征旅行で2週間日本を訪れて更に日本の文化・言葉・食事に惹かれ、「日本に行くしかない!」と思い、18歳でワーキングホリデービザを取得して1年間シェラトンホテルに勤めました。
期間終了後も日本に居たい気持ちは止まらず、親に頼み込んで日本の予備校に通い、死に物狂いで勉強して慶應義塾大学経済学部に入学しました。
しかし、卒業間際で就職先も決まっている頃に1単位足りない事が分かり、留年。
これは小さな挫折でした。
5年で大学を卒業し、Canonに就職したのちに起業しました。
この頃、22歳だった弟が亡くなり、「弟のためにも自分が頑張らなきゃ」と思ったことも起業のきっかけとなりました。
当時はインターネットの黎明期で、インターネットに可能性を感じ、「オンラインでオーダーメイドのワイシャツを売ろう」と考えました。
しかしなかなかうまくいかず、翌週までにお金を工面できなければ倒産という状況まで追い込まれました。
「このままだと会社がつぶれてしまう。どうしよう」とビアガーデンで作戦会議をして、「世界のドメイン名登録」というサービスを考え、これに賭けました。
リリースを出して祈っていると、NTTドコモさんから海外ホームページの話を頂き、倒産の危機を乗り越えることができました。
信じる者は救われる。一生懸命、最後までやれることをやれば必ず乗り越えられると、この時実感しました。
それから事業は軌道に乗り、バリュークリックの日本ライセンスを獲得し、2年後に上場。
ビアガーデンでくよくよしていた頃の自分からは考えられませんでした。
今は、企業が信憑性の高いコンテンツを生み出し続けなければならない時代になりました。
私たちは、その手伝いをするプラットフォームを提供しています。
目指すは世界最大手。
まだ若い会社なので、これから拡大していきたいと思っています。
大事なのは、何かに没頭すること。私にとってのそれは、日本でした。
やりたいことをさせてくれた両親に感謝しています。
社会のルールから脱皮し、「知ったこっちゃない」と進めば人生は楽しい。
周りの人が何と言おうと、自分の人生だから。
今後は50歳に向けて社会貢献にも目を向けます。
お金だけでなく、悩んでいる人の力になるような活動をしていきたいです。
◆シャトルロックジャパン株式会社
https://www.shuttlerock.co.jp/