世界一の技術を有するふとん職人が名古屋にいる。
熟練技能者が技能の日本一を競い合う大会、技能グランプリで、内閣総理大臣賞をふとん業界で初めて獲得した。
平成25年には大手企業が名を連ねる『ものづくり日本大賞』でも内閣総理大臣賞を受賞した。
現在は日本全国、いや欧米からも注文が入り、購入するには3年待ちのふとんをつくるスゴい人が本日登場する。
ふとん業界に入ってたった13年で日本一と認められ、平成21年には「藍綬褒章」も授章している。
どのような苦労を経て、現在に至っているのだろうか。
さあ…
丹羽ふとん店
4代目
丹羽正行様の登場です!
「論理的に取り組む」
代々ふとん店の家系でしたが、兄たちは運送会社を立ち上げ、私も継ぐ気はなく、大学卒業後、亡くなった母が望んでいた国家公務員の試験を受けました。
行政事務に合格し、面接を受ける頃に父が入院。
当時の公務員試験は合格後3年間有効でしたので、父が復帰するまで手伝うことにしました。
機械は得意でしたので機械の構造を理解し、綿を打ち直し、ふとん作りも見よう見まねで始めました。
納品する時にお金を頂くのですが、「公務員は1ヶ月働いて給料をもらうが、ふとん屋は商品を持って行くとお金に変わる!働けば働くほどお金をもらえるのは面白いかもしれない」と思ったのです。
ふとん屋を1~2年やってから将来を考えても遅くはないと。
父が退院し、ふとんを作る国家試験を受けさせてもらう事になったものの、同じ歳でも高校卒業後から働いている人の方が上手で先輩も彼に教えたがるため、自分は相手にしてもらえない。
基礎も知らず独学で作っていたので、当時は本当に下手だったと思います。
国家試験の2級に合格し、次の1級は「夜着」制作。
難しいけれど先輩職人はそう簡単に教えてくれないので、当時発売されたばかりのビデオカメラを大金をはたいて購入し、なんとかお願いして仕事風景を撮影させてもらいました。
家に帰り何度も何度もテープが擦り切れるほど見てイメージし、練習しました。
1級も合格し、愛知県大会も優勝し、技能グランプリに挑戦したものの失敗。
技術は申し分ないがルールに沿っていないと言われ愕然としましたが、その後の1年は次の全国大会のためだけに集中しました。
努力の甲斐あって、内閣総理大臣賞を受賞。前年度に優勝していたら、この賞は貰えなかったと思います。
ふとん屋を継ぐと話すと、大学も出たのにもったいないと反対する人もいましたが、恥ずかしい仕事などありません。
目の前に布団づくりの課題があったので、私は技術を磨きたくて仕方がなかったのです。
私は経験が浅かったので、それを補うために知識と知恵を振り絞り、論理的に取り組みました。
すると経験だけでは到達できない技能者の域まで来られたのです。
丹羽ふとん店は技術を常に磨き続け、原材料の勉強も惜しみません。
その為、お陰さまで世界中から注文が殺到しています。
今は3年も待たせてしまっているので、テレビ取材はお断りしています。
これからも気持ちの良いふとん作りに精進し続けます。
◆丹羽ふとん店
http://niwafuton.com/
◆4代目 丹羽正行 オリジナルHP
http://www.h4.dion.ne.jp/~niwa/