大正時代より現在まで人気を集め続けている“宝塚歌劇団”
本日は、宙組の初代組長を務めたスゴい人が登場する。
1982年、68期生として宝塚歌劇団に入団。
1998年には65年振りに新たに発足した宙組の初代組長に抜擢され、劇団史上最年少で就任した。
2002年の退団後は女優・歌手として活動。
2015年にファーストアルバム『宙色協奏曲 ~sorairo concerto~』をリリース。
また宝塚歌劇団時代の経験を活かし、コミュニケーション・アドバイザーとして、講演やセミナー活動なども行っている。
さあ…
初代・宙組組長
大峯麻友様の登場です!
「笑顔でHappy!」
とにかく、見るもの何にでも興味を持つ子どもでした。
お花屋さんでもお菓子屋さんでも、すぐそれになりたいといって、落ち着きのない飽き性の子どもでした。
でも、人前で歌うことが好きだったり、初めての人でもすぐに仲良くなれるという特技はありましたね。
母もタカラジェンヌであったため、小さい頃から宝塚の舞台は見ていましたが、特に興味はありませんでした。
ところが、中学一年生の夏休みに宝塚の舞台を観劇した時に、「私もここにいるべきだ!」と直感し、すぐさま宝塚志望の意志を固めました。
その際、猛反対した母が出した条件はふたつ。
「中学学業とレッスンの両立」と、たとえ親の死に目に会えなくとも舞台を選ぶ「根性を持つこと」でした。
その教えを守り、受験勉強に励み、何とか成績優秀で卒業できました。
宝塚は上下関係が厳しいところですが、同期生は成績が勝負です。
しかし、劇団に上がって1年目に成績が大きく下がってしまい、「自分は劇団に必要ないのか」と早くも挫折を味わいました。
そんな私が奮起するきっかけとなったのは、自分より先に進んでいた同期生の存在でした。
成績の上がった同期を観察することによって、自分の悪かった点を探すと同時に長所も見出すことができました。
それによって挫折を乗り越え、自分の居場所も見つけられました。
宝塚はいい舞台をお客様に見ていただく為に、一人ひとりが努力し、協力し、同じ目標に向かって強い絆で結ばれていきます。
宙組の組長時代、まったく何も無いスタートから組をまとめていくのは大変でしたが、その時に関わった方々のサポートがあったから、笑顔で退団することができたと感謝しております。
あのときの挫折は決して無駄ではなかった。
挫折したときはしっかり落ち込んで、そのかわり自分を見つめなおす時間にすれば光が見えてくると信じています。
「元宝塚」という看板は、決して軽い気持ちで背負えるものではありません。
規律の厳しい集団生活を通して得た自律、常に完璧なものを見せるという意味でのプロ意識、すべて宝塚で学んだものです。
だからこそ、宝塚出身者としての誇り、団結力、そして宝塚愛といったものは、歳月を経ても決して衰えることはありません。
宝塚生活での経験、得られた仲間は、いずれも人生における財産だと感じております。
皆様には、「一日一回、大声で笑おう!」とお勧めしたいです。
笑顔は、自分も人も楽しい気分にさせます。
どんなことがあっても幸せな気分でいるためには、まずは自分から笑いましょう。
そうすれば、いいことや人が自然と近づいてきてくれるはずです。
◆大峯麻友 公式サイト
http://mayusan.net