本日登場するスゴい人は、『マジンガーZ』『グレートマジンガー』などのマジンガーシリーズや、『UFOロボ グレンダイザー』などの大人気アニメのコミック化で人気を博したマンガ家のスゴい人。
彼の作品は単なるアニメのコミカライズにとどまらず、彼独自の一貫した世界観を築き上げ、一大SFストーリーとなった。
代表作『釣りバカ大将』を始め、趣味である釣りをテーマにした作品を多く執筆している。
さあ…
マンガ家
桜多吾作様の登場です!
「本を読む」
中学生の頃から、手塚治虫先生や石ノ森章太郎先生に憧れ、ノートに漫画を描き始めました。
子どもの頃は体が弱くて、よく母が本を読み聞かせてくれたおかげでストーリーには困らなかったですね。
映画もよく見ましたし、今でも本は月に20冊ほど読みます。
中学卒業後は進学せず、芝居をしたくて俳優座を受けようとしたものの、応募資格が高校卒業以上で断念。
職業訓練所に入り、ふと小学生の頃に図画で金賞を取り、中学時代にはマンガを描いていたのを思い出して、久々にマンガを描いて講談社に送りました。
すると、「同人誌を作っているからどうか」と声をかけられて、東京に会いに行きました。
そこには北見けんいち先生を始め、竹宮恵子先生・土田よし子先生・尾瀬あきら先生等その後漫画家になった方々が集っていて、すぐに「入れてくれ」と頼んで仲間に入れてもらいました。
1年後、東京に出てきて、描ければ何でも良いと思ってデザイン学校でアニメの勉強をしたけれど、アニメの仕事を紹介されてもあまり気のりせず、美術研究所でデッサンを習うようになりました。
漫画家になりたくて、石ノ森先生の所に「入れてほしい」と言うと、一晩待たされた後に先生の所に置いてくれて、当時は下手だったけどトッポ・ジージョの色を塗ったりしました。
最初は本当に緊張しましたね。
2年後、22歳の時に少女漫画でデビューし、連載も持ちましたが少女漫画は合わず断り、ジャンプの別冊で2か月に1回読み切り連載をするようになりました。
自分で良いと思って劇画チックにしたものが全然ウケなかった時は、センスが無いんだなぁと落ち込みましたね。
でも、売れなきゃ食えないから必死でした。
アルバイトを始めたら、他の所に目が行ってしまって書けなくなるから、貧乏で苦しくても、友人にもらった炊飯器で友人にもらった米を炊いて、1週間海苔の佃煮だけで米を食べてしのいでいました。
お金が無くて永井豪さんの家に居候していて、彼が忙しい時には手伝ったりもしました。
ある時「こんなのどうだろう」と梯子をバイクで駆け上がるロボットのラフスケッチを見せられて、それがマジンガーZで、そこから私のマジンガーZが始まりました。
9年前に薬を使わない医師の真弓定夫先生と出会い、今は医療や健康をテーマにしたマンガを描いています。
石ノ森先生と豪ちゃん、真弓先生は私の恩人です。
伝えたいことが沢山あるので、今後も日本のことや健康のことなどを主題にマンガを描き続けます。