石ノ森章太郎原作作品など多数の傑作マンガを生みだしたマンガ家のスゴい人!

本日登場するスゴい人は、「人造人間キカイダー」「イナズマン」「がんばれ!!ロボコン」「仮面ライダー」などの石ノ森章太郎原作作品の他、「飛び出せマリオ」「ボンバーマン」など、多数の傑作マンガを生みだした人気マンガ家のスゴい人!

岐阜県に生まれた彼は、高校卒業後すぐに上京。
中城けんたろう氏、石ノ森章太郎氏のもとでアシスタントとなり、順調にマンガ家としての道を歩んできた。

しかし、38歳の頃に彼のマンガ家人生に転機が訪れる。
順調だった人生に訪れた突然の挫折を彼はどのようにして乗り越えたのだろうか。

さあ…
マンガ家
山田ゴロ様の登場です!

「動け!!」

マンガ家になりたいと思ったのは小学校5年生の時。
友人の家の離れで転校生二人がマンガを描いていたんです。
その時初めて人の描いたマンガを見て感動し、翌日から彼らと一緒に毎日マンガを描き続けました。
友人がとても上手で、悔しくてどんどんのめりこみました。

高校時代から父の紹介で東京の編集者の方にお世話になり、原稿を見てもらったり、石ノ森章太郎先生や手塚治虫先生の仕事場を見学させてもらったりしました。
今思えば、すごく恵まれた環境でした。

高校卒業後すぐ上京し、1年間中城けんたろう先生のアシスタントをさせて頂き、石森プロへ。
ある日、石ノ森先生に少年サンデーで始める新連載のペン入れを代わりにやってくれと言われました。それが「人造人間キカイダー」でした。
その後も石ノ森先生のもとで様々な作品に携わりました。

「ロボコン」で念願のギャグマンガを描く事ができました。
当時は忙しくて必死だったので、テレビも見ないしヒットしている感覚もありませんでしたが、イベントで子どもたちが大はしゃぎしているのを見て感動しましたね。

38歳の頃、マンガ家として独立して忙しく仕事をしていたのに、次第に仕事が無くなって、気が付いたら1本だけになっていました。
自分ではどうして仕事が来ないのか全く分からず、もう生活できない状況に。
その時は「マンガ家を辞めよう」と思い、うつ病のような状態になって、マンガの事も考えられなくなり、踏切に飛び込んで死んでしまおうとまで考えました。
でも勇気が出なくて、家に帰って「やっぱり僕はマンガ家を辞められない」と言って、初めて人に相談することを決めました。
マンガ家の登竜門「COM」の石井編集長に相談すると、付き合いのある編集部に挨拶しなさいとご指導いただきました。

考えたら、僕は持ち込みもしたことがなかったのです。
世間知らずで、頭を下げる事を知らなくて、仕事は来るものだと思っていました。
何の苦労も無くレールに乗ったように進んできて、営業というものを知らなかったのです。
その時初めて編集部に電話して、仕事があったらくださいとお願いすると、昔仕事でご一緒した人が助け船を出してくれて、カットの依頼を頂いて、それから少しずつ仕事を増やすことができました。
全部抜け出すまでに、4年くらいかかりましたね。

今は大学などで学生を指導することに軸足を置いています。
若い人には、笑顔が大切と伝えたい。笑顔で行くと笑顔で迎えてもらえます。

◆Twitter
https://twitter.com/yukaigoro

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