ニュルブルクリンク24時間レース日本人最多出場レーサーのスゴい人!

本日登場するスゴい人は、世界で最も過激なレースと呼ばれるニュルブルクリンク24時間レースに日本人として最多出場を誇り、ベストリザルト記録を保持するスゴい人。

彼は学生時代よりモータースポーツに参戦し、学生王者に輝いた。
1984年にレースデビューしてからは、全日本選手権をはじめ多数の優勝を獲得。
スーパー耐久では最多勝利数記録を更新し続けている。

現在は現役選手としてレースに出場し活躍する傍ら、日本カーオブザイヤーの選考委員を務め、多数の連載の執筆やテレビでのレース解説、メーカーのブランドアドバイザーなど、車に関する様々な活動を行う。
彼のレースへの想いとは?

さあ…
レーシングドライバー
木下隆之様の登場です!

「誠実」

物心ついた頃から車が好きで、16歳でバイクの免許を取り、18歳からは車に乗っていました。
車によって行動範囲が広がったり、速く移動できるようになったり、自分の能力が広がる感覚に更に夢中になりました。

大学時代は自動車部に所属して、部活動に青春を捧げました。
ラリーなどに出場し、それなりに成績も良かったのですが、卒業後は出版社に就職。
自動車競技を辞めてしまうのは勿体ないような気がして、最初の給料を貯めてアマチュアレースに出場しました。
レース用のレンタルカーを借りて出場するのですが、大会に出場するのに50万円もの費用がかかり、またお金を貯めて1年後くらいに出場しようと思っていました。
そんな矢先、レースを見ていた日産の方から声をかけて頂き、レースに出場できるようになったのです。
それからレースへの出場、優勝などを繰り返すうちにプロになる話が持ち上がり、私は会社を辞めてレース一本でやっていこうと決めました。
もともと楽観的なので不安は無く、「やらないで後悔するより、やってみよう」という気持ちでした。

25年くらい前、まだ日本人が出場していなかった頃にニュルブルクリンク24時間に初めて出場しました。
しかし全く歯が立たず、日本人や日本車をバカにされたことがとても悔しくて、その5年後にリベンジをしました。
それからはニュルブルクリンクに魅せられて狂ったように挑戦し続けてきました。
世界で最も過激なレースと言われるほど激しいレースですが、まだまだ上を目指したい気持ちがあるので、今後も挑戦を続けるつもりです。

最もつらいのは、シートが無くなったとき。
レースは決して個人の財力で続けられるものではなく、数の限られたシートをもらわなければ、走ることができません。
速く走れればシートをもらえるという事でも無いので、努力だけではどうにもならない事がもどかしかったですね。
しかし、そんなピンチの時にも誰かが「うちで乗らないか」と声をかけて助けてくれました。
私は不器用でうまく行かない事もありますが、常に誠実に正直に、人を裏切らないと決めています。
正しくやっていれば、必ず見ていてくれる人がいるのです。

また、私はずっと好きなことをしていますが、好きな事なら徹夜も喜んでできるし、どんな努力だってできます。
今後も、今やっている事が本当に好きな事かを常に自分に問いかけながら、車をベースに様々な事に挑戦したいと思っています。

◆公式サイト「Key's Racing Division - SPECIALITY CAR DOME」
http://www.cardome.com/keys/op03.shtml

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