本日登場するスゴい人は、読売ジャイアンツに1976年から1994年まで在籍し、数々の受賞歴を持つ元プロ野球選手。
1981年に3割5分7厘という高打率を実現。
1984年、87年には首位打者獲得。
1987年のチーム優勝時にも大きく貢献。
首位打者2回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞も4回受賞した名選手。
さらに侍JAPANのコーチとしても世界一に貢献した。
さあ…
元プロ野球選手
篠塚和典様の登場です!
「誰かのために」
私が子どもの頃は、どこの小学校の校庭でも野球ができ、たくさんの野球好きがいる地域だったので、自然に野球を始めました。
小学校4年生のときに、クラスで一人だけしか入れない野球部に、三人の中からじゃんけんで勝ち抜き入部することができ、これが野球人生最初の大きな転機となりました。
高校は名門と言われた千葉県の銚子商業高等学校に入学。
その時本格的に「自分はプロ野球選手になる!」と意識しました。
入学してすぐに一年生でレギュラーに選ばれたのですが、夏の県大会前にスライディングで骨折して出場することが出来ませんでした。
骨折完治後は順調な高校野球生活を送っていましたが、2年生で優勝が決まったあとに、急性肋膜炎という病気になり3ヶ月間入院。
入院中は病院のベッドの上で、真上にボールを投げて受け取るという単純練習を3ヶ月間続けて、それがその後の役に立ちました。
入院はしたけれど、無駄な時間では無かったのです。
半年ぶりにグラウンドに復帰してバットを振るというときには、早朝にも関わらず大勢の生徒が待っていてくれました。あのときの光景は忘れられません。
巨人軍に入団したときは「ホームランを打つよりもヒットをたくさん打つバッターになろう」と決意。
入団して半年程経ったころ、自分がドラフトで選ばれたのは当時監督だったミスタージャイアンツ長嶋茂雄さんの強い意見だったことを知り、「この人のために頑張ろう」と思いました。
しかし私が成果を出せないうちにミスターが引退。
一緒に辞めることをミスターに話したら、「自分の力を出せば必ず成功するから」という言葉をもらい、怒られました(笑)
その後、ミスターに恩返しをすることを目標に「試合に出ること」を意識した練習を続けて、3割5分7厘という打率を実現しました。
そして「3割バッターを3年間続ける」という目標もクリアー。
さらに翌年首位打者を獲得したときに、ミスターが「ありがとうシノ /名人・篠塚利夫」という単行本を出版してくださり、これでやっと恩返しが出来たと思いました。
自分の場合は「ミスターのために」でしたが、「誰かのために」というパワーが人間には必要だと思います。
そして、続けることと目的意識が大切だと、プロ野球を目指している子供たちにも教えています。
◆篠塚和典オフィシャルブログ
http://ameblo.jp/dream-jpn/