日本人初!ラグビーフランスリーグにフォワードとしてプロ契約したスゴい人!

1980年代頃よりテレビドラマ「スクールウォーズ」の影響などから一般の人にもラグビーが広く知れ渡り、日本でも大学ラグビー、社会人ラグビーなどが盛り上がって行った。

そんな中、2000年前後にスター選手が現れた。
彼は、東京高校から明治大学、サントリーのチームで活躍し、本場フランスのチームへ移籍。
帰国後は神戸製鋼、豊田自動織機で長らく活躍した。
日本代表キャップ数(出場数)は14。

彼は、どんな道のりを歩んできたのだろうか?

さあ…
元ラグビー日本代表
齊藤祐也様の登場です!

「可能性を信じて」

NHKで放映されていた早明戦のラグビーに影響を受け、ラグビーをするために東京高校に入学。
実際に見ると辛そうだと思いましたが、すぐに夢中になれました。
それは監督に「お前はボールを持ってとにかく走るだけで良い」と言われ、全くルールが分からなくてもトライを沢山決められて楽しくなったからです。

大きな分岐点は、海外へチャレンジする時。
思い立ったらすぐに行動してしまうので、「そんなに甘くない」と言われても辞表を出し、それから1か月後にフランスでプロテストがあるという情報を得て、フランス語なんてもちろん出来ませんでしたが、飛びました。
テストは1ヶ月間、下位チームで毎週試合する姿をチェックされるのです。
上のチームを見ても行ける手応えは充分ありました。
1ヶ月経った時、疲労も蓄積し、ダメなら帰国しようと結果を聞いてみると「お前はもう大丈夫だよ」と。
フォワードとして初の日本人でしたので、デビュー試合は地元スポーツ紙にも大々的に取り上げられました。
小さな街でしたが、ラグビーは人気なので、オフの日は子供達にサインを求められ、幸せな時でした。

日本にトップリーグが出来た時、神戸製鋼からオファーがありました。
チームに残ってくれとも言われましたが、自分がライバルチームに入り盛り上げる事も貢献だと思い、帰国しました。
初年度トップリーグでは優勝出来ましたが、だらだらやらず35歳での引退を決意して、ご縁もあり、LED販売会社を作りました。
子供も授かり、いつか子供向けのスポーツ教室をしたいという想いが強くなって来た頃、偶然にもあるスポーツ施設との出逢いで今の子供向け教室を始めることになったのです。

僕のスポーツ教室は、週ごとに色々なスポーツをさせます。
教えるのは各スポーツのトップ選手。
1つのスポーツをするより、複合させた方が、パフォーマンスが上がるのです。
基礎パフォーマンスを上げ、中学になってから1つに絞っても良いのです。
30m走る間に5回も転んでいた子供に30分だけ走り方を教えると、チームの中で一番早くなったりもします。

子供は可能性の塊です。
大人は自分の経験で子どもの可能性を判断せず、子供も大人も可能性を信じ一歩を踏み出して下さい。
踏み出す勇気の原動力は、好きであることです。

◆各スポーツ界の元日本代表のスポーツ選手から直接学べる子供向けスポーツスクール
<コーディネーションアカデミー>
http://www.coordination-academy.co.jp

◆斎藤祐也facebook
https://www.facebook.com/yuya.saito.5

◆株式会社SIGMA
http://www.the-sigma.jp

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