本日登場するスゴい人は、当時人気だったパチンコを題材にしたマンガ『釘師サブやん』、現在では当たり前のようになっている料理マンガというジャンルを確立させたマンガ『包丁人味平』を生み出した漫画家のスゴい人!
その他にも「カメラマン」「ブラックユーモア」「漫才師」など、他の漫画家が描かないテーマを描くことで、マンガ界に新しいジャンルを生み出し続けた。
さあ・・・
漫画家
ビッグ錠様の登場です!
「マンガのルーツは西部劇」
私が子供の頃は貸本屋がブームで、地域に2、3軒はありました。
中学生の頃は、私もたくさんのマンガを借りて読みました。
貸本専門の出版社があり、友人がそこで漫画家をやっている事を知り、高校2年生のときに貸本マンガ『バクダン君』という作品でデビューしました。
一般家庭にテレビが普及し始め、プロレス、歌番組など面白い内容が盛りだくさん。
「もうマンガは無くなってしまうな…」と悲観し、卒業後はマンガの道には進まず、デザインの仕事を3年ほどやっていました。
貸本屋は少なくなっていきましたが、「少年マガジン」や「少年サンデー」などが創刊され大人気になりました。
最初の頃はほとんどが子供向けの内容でしたが、しだいに貸本屋時代に人気だった劇画調の作品が増えてきました。
その頃に発売された青年誌を見て「これが自分のやりたいものだ」と思い、再びマンガの世界に入ることを決意。
28歳で大阪から東京へやってきました。
しかし何本か作品を描いても生活ができるほどでは無く、「大阪に帰ろうか…」と思っていたときに、依頼を受けてストーリーマンガを描くことになりました。
それが『釘師サブやん』です。
既に『あしたのジョー』や『巨人の星』などがあったので、「スポーツマンガではかなわない」と考え、当時人気だった「パチンコ」というジャンルに、自分が好きだった「西部劇」を取り入れて、連載がスタートしました。
『釘師サブやん』は、おかげさまで大ヒットとなりました。
その後も「誰もやっていないジャンルをマンガに」という想いで、少年ジャンプで当時誰も描いていなかった「料理」というジャンルを取り入れた『包丁人味平』の連載を開始。
他にも新しいジャンルの作品をたくさん描きました。
それまでは病気らしい病気はしていませんでしたが、1997年頃、頚椎ヘルニアで一ヶ月ほど動けないことがありました。
神様からの「仕事をやめろ!!」という合図だと思い、好きなことをやろうと決意してニューヨークに一年間行きました。
この経験から、新たに劇団をテーマにした作品も生まれたので、結果として良かったのだと思います。
2002年のアジアマンガサミット横浜では、ミュージカル『包丁人味平』を上演しましたが、近いうちに包丁人味平の舞台をもっと大々的にやってみたいと思っています。
◆オフィシャルサイト
http://www.ryupro.com/