日本人初のK-1 WORLD MAX世界王者になったスゴい人!

格闘技に興味がない人でも恐らく名前を知っているだろう、甘いマスクと真の強さを兼ね備え、K-1世界王者になったスゴい人が本日登場する。

テレビ番組などにも多数出演し、多くの格闘技ファンが彼の発言や行動に注目し、彼の戦いに熱くなった、日本の格闘技ブームの中心にいた人物。

2003年と2008年の二度、K-1 WORLD MAX世界王者になっているが、二度目に王座を手にするまでの5年間が何よりも辛かったという。
どのような5年を過ごし、チャンピオンに返り咲けたのだろうか?

さあ・・・
元K-1世界チャンピオン
魔裟斗様の登場です!

「諦めない」

高校に入ったものの馴染めず、親に高校を辞める理由として「ボクシングをやりたい」ととっさに言ってしまい、高校中退後15歳からボクシングを始めましたが、プロテスト直前でボクシングを辞めてしまいました。
今から思えばまだ子供だったんでしょう。
遊びたい盛りで周りの誘惑に勝てなかったんです。

その後、子供の頃から体を動かしてきたせいか体がなまってきたので、後輩の誘いで軽い気持ちで自宅近くのキックボクシングジムへ行くことに。
サンドバッグを打っていると、会長から「本気でやればすぐにチャンピオンになれる」と褒められ、プロデビューする事となり、デビュー戦はKO勝ち。
しかし、2回戦目はたいした練習もせず完全なるスタミナ切れで負けてしまったのです。
全勝で勝ち進んでチャンピオンになるイメージだったので、辞めるつもりでした。

そんな時、ジムの会長から憧れの当時のスター選手が練習の相手を探していると聞き、会って一緒に練習をしたい好奇心から一緒に練習することになりました。
そこで見たのは、考えられないほどのプロの選手の練習量でした。
その練習を一緒に続けると、以前の負けた試合の時とは違い、全くスタミナが無くなることはありませんでした。
その後は連戦連勝で、20歳で全日本のチャンピオンになれたのです。

しかし、チャンピオンになったものの、待遇面など自分がイメージしているものではありませんでした。
一方、当時はK-1のヘビー級の全盛期でした。
自分がK-1で試合をして多くの人に見てもらえば、必ず評価してもらえるはずだと思い、自らキックボクシングのチャンピオンを返上して、K-1出場のチャンスを得る為に自己プロデュースに専念しました。
当時は注目されたものの、世間に真意は伝わりませんでしたが・・・。

ようやく念願だったK-1出場は叶ったものの、K-1 MAX 世界トーナメントでは敗退してしまいました。
しかし、翌2003年に念願だったK-1 WORLD MAXで優勝することができました。
その後はもう一歩の所までは行くものの、チャンピオンになることは出来ませんでした。
何度となく諦めかけましたが、一緒に汗を流したトレーナーから「まだまだ強くなる要素はいっぱいある」と言われ、信用できる人の意見を素直に聞き入れることができ、いろいろなものを犠牲にして生活リズムから全てを試合の為に注ぎました。
その後、5年ぶりにトーナメントで優勝するまでは本当に苦しかったですが、それがあり今の自分があると思います。

好きなことを仕事にすると、嫌いになることもあります。
それでも、好きなこと以外は何も成功しないと思います。
何かを成し遂げるには、最低3年は死ぬ気でやってみて下さい。

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