本日登場するスゴい人は大人気麻雀劇画『天牌』の原作を手掛けるスゴい人!
彼は竹書房『近代麻雀』の編集長を経て劇画原作者となり、主に麻雀をテーマに、戦いと人間の機微を書き続けてきた。
もともと麻雀が好きだったという彼だが、何故原作を書くことになったのだろうか?
そして、彼が作品を通して伝えたいこととは?
さあ
劇画原作・脚本
来賀友志様の登場です!
「麻雀の楽しさを伝えるために」
父は植物博士でして毎晩深夜遅くまで自宅で研究をしていました。私も小学校高学年の頃から大好きな父が寝るまで起きていようと思い、文学全集を読んだり、勉強をしたり。このころ、いちばん勉強したかな。そのためか、地元の鹿児島ラ・サールへ進学出来ました。
でも多感な時期、在学中に音楽や深夜放送に邁進し、目標だった東大へは合格できず、浪人することに。
この浪人期間中に、鹿児島から東京へ上京し、どっぷりと麻雀へと浸かってしまいました。
最初から運が良く勝ち組に回ったのもありますが、打つたびに毎回違う局面に遭遇するのが面白く、1年を通じて麻雀ばかり。結果、二浪してやっと早稲田大学へ。
真面目な両親は、私が麻雀をやる事に反対でしたが、私はどうしても麻雀を続けたく、大学を卒業後、仕事としてやるのならば認めてくれるだろうと思い、竹書房の専門誌『近代麻雀』の編集部に入りました。麻雀プロも考えたのですが、まずはプロの土台を作ろうと。
編集長を務めた最後の2年間は月のほとんどを会社で寝泊まりして仕事に明け暮れていました。
専門誌を作ることは難しく、辛い時もたくさんありましたが、歯を食いしばりながら働いていれば、後になってその経験が確実に活きてくると今は深く思いますし、決して人生に無駄なことなどは無いのだと実感しました。
その後、自分の手でもっと、「私の作品を通して多くの人に麻雀の楽しさを知ってほしい」という想いから出版社を辞め、原作を書く道へ進むことを決意しました。
私の来賀友志という名前は、日本に初めて麻雀を広めた空閑(くが)緑という人の名前を当て字にしたものと、最終的には志を共にする仲間との友情を書きたいという想いでつけました。
当時は麻雀劇画の月刊誌も十数誌あり、『天牌』を書き始める前の15年間は編集者から依頼され、13本並行して書いていた時期もありました。
自分の力の至らなさに「なぜ麻雀の面白さをもっと表現出来ないんだ」と、悔しい思いをし、挫折しかけたこともありますが、私にはこの道しかありません。
辛い時も、「麻雀をやっている、みんなの楽しい笑顔が見たい」という強い想いがあったからこそ、これまで30年間、劇画原作を続けられているのだと思います。
原作者に必要なのは、才能と努力。
私はその中でも努力の方が圧倒的に多いですね。
原作は言葉でメッセージを届けなければなりませんので、自分なりの言葉を持っていなければ書く事は出来ません。
私はいつも、短編1つの中に2つはメッセージを込めるように考えて書いています。
劇画のセリフは詩と似たようなところがあり、端的に、いかに短く読者の心に響く言葉を紡ぎだせるかにかかっています。ですから劇画1ページの1コマの1つのセリフに、1週間も唸りっぱなしのこともあります。
『天牌』を書き始めた当初、冗談で「単行本100巻までいこうか」と口にしていましたが、今や15年が過ぎ76巻、夢ではなく100巻も見えてきました。
あと10年は『天牌』を通じて様々な人間ドラマを書き続けていきたいです。