レスキューロボットコンテスト世界大会で2度優勝したスゴい人!

本日登場するスゴい人は、2004年の新潟県中越地震現場調査や2011年の東日本大震災後の福島第一原子力発電所調査など実際に災害の現場で活躍したレスキューロボットを作った人物として知られる、ロボット研究者。
彼は、神奈川県の工業高校で教師をしながら34歳で大学院に進学し、47歳で博士課程へ進み、51歳で博士号を取得。大学教授に転身した。
現在は人にサービスを施すことを目的とするサービスロボットを研究・開発する会社を立ち上げ、ロボット製作を行っている。
彼のロボット製作への信念とは?
さあ・・・株式会社移動ロボット研究所 代表取締役 小柳栄次様の登場です!

「すべてに感謝」

新潟県中越地震が起きた2004年当時、私たちはレスキューロボットの世界大会で優勝したばかりでした。
当時の桐蔭横浜大学の学長から「あんたは世界大会で優勝しても現場にはいかないのか?」と言われ、ロボットを持って現地に入ったのです。
実際に行って、被災地の想像以上にすさまじい状況に驚きました。
しかし、私たちはその中でもできる限りの事をしました。
下水管の破損個所の調査をするのですが、管の中を走らせて破損個所までたどり着き、ロボットにメジャーをつけて破損個所までの距離を測って私たちがノートに記録し、ロボットに搭載されたカメラでその場所の写真やビデオを撮りました。
ノートとビデオを見れば、どの場所がどのように破損しているかが分かります。
ところがそれを役所の担当者の方に見せると、「素晴らしい成果ですが、これでは使えません」と言われました。
混乱している現場では、ノートかビデオどちらかが紛失してしまうかもしれません。
一目で何が起きているかが分からなければ、現場では使えないのです。
この時、現場を理解しないでロボットを作っていたことに気づかされました。
更に悔しかったのは、走行距離をロボット本体に表示させる技術を既に持っていたにもかかわらず、「記録すればわかる」と思ってつけていなかった事でした。
それからは、「人の役に立たないものは作らない」という考え方でロボットを作るようになりました。
研究職は専門家ですから、人から忠告を受けることは少なくなります。
傲慢になって、「でも」「だって」と忠告を打ち消してしまったら、そこで終わりです。
他人の忠告をどれだけ素直に受け入れられるかが、失敗が失敗のまま終わるかそれを成功につなげられるかの分かれ目だと思うのです。
あの時、自分の気づかなかったことに気づかせて頂いた事に感謝しています。
現在は移動ロボットをメインに研究しており、フランスのTOTALの調査ロボットコンペに参加して世界31チーム中最後の5チームに残っています。
このコンペでは完全に実用化を目標とされているので、ロボットのサイズや仕様に関する基準が非常に厳しくなっています。
日本の技術が高く評価されていても、世界を見ると日本の技術がガラパゴスであることを実感しますが、厳しい基準への挑戦を経験することで、自分たちの技術が磨かれるのを楽しんでいます。
日本の技術を向上させることと人の役に立つことができたらうれしいです。

◆株式会社移動ロボット研究所
http://www.irobo.co.jp/
※一部携帯では見られない可能性があります。

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