1986年に発売され、2014年時点のパッケージゲーム累計出荷本数がシリーズ全体で6400万本以上に上る日本のゲーム界を代表する作品。
それが、「ドラゴンクエスト」シリーズ。
ドラゴンクエスト3は、発売日に購入者の列が数キロにも及んだ。
このドラゴンクエストシリーズを生み出し、日本のテレビゲーム業界に多大なる影響を与えたスゴい人が本日登場する。
さあ・・・ゲームデザイナー 堀井雄二様の登場です!
「イタズラ心」
子どもの頃、家の裏が貸本屋で、いつも漫画を借りて読んでいました。
夢は漫画家になることでした。
昔は漫画誌に漫画家の電話番号と住所が掲載されていたので、高校3年生の時に、永井豪先生に「アシスタントになりたい」と電話し、自分の作品を抱えて会いに行きました。先生にお会いすることができ、サインは頂いたのですが、やんわりとお断りされてしまいました。
「それならばとりあえず大学に行こう。」
大学では漫研に入部。
先輩方にはマスコミ関係の人もいて、ライターの仕事や放送作家の仕事の手伝いをさせてもらっていました。
「この仕事で食べられるのではないか?」と思っていたら、バイクで事故をして内臓破裂。
生死の境をさまよい、療養で1年田舎へ戻ると、仕事もなくなり普通の学生に戻ってしまいました。
でも再びライターの仕事を始めけっこう稼いでいたのですが、若者向けの雑誌がメインだったので20年後の自分の生活に不安を覚えていた頃、雑誌の特集で「これからはマイコン!」という記事を見つけました。
すぐに、テレビに接続して使用できるパーソナルコンピュータ、パピコンを購入。
最初に作ったのは、占いソフトでした。
といっても本当に占うわけではなく、誰が遊びにくるかがあらかじめ分かっていたので、生年月日などの入力に関係なくその人ずばりの事の文章を用意して、それを表示させるわけです。
「こんなこともわかるんだ!」と驚いてくれました(笑)
昔から僕はイタズラ好きなんです。
そんなわけで、ユーザーとインタラクティブにやり取りをして反応を見られるコンピューターの世界にハマっていきました。
ある時、当時社員3人しかいなかったエニックスから、プログラムのコンテストを開催するから取材をして欲しいと依頼がありました。
手元には応募ハガキもあり、取材もするけど応募もしてしまおうとボクは考えました。
結果は、テニスゲームで入選したのです。
ボクは基本的にあまりマニュアルを読みません。
当時も、覚えたプログラムの単語は4つだけで、4つ命令語を使って出来るものをプログラムしていき、新たな知識が必要な時にその箇所だけマニュアルを見るとか、そんな感じでした。
やる前から出来ない理由を並べても、何も生まれません。
まずは出来る事からチャレンジすれば何かが生まれることがあるのです。
ゲーム制作が始まった当初はスタッフ数名で数ヶ月かければ作品が出来ましたが、最近は数百名体制で何年もの時間がかかります。
プレッシャーは無いわけでないですが、イタズラ好きな自分は変わりありません。
どうやったらユーザーが驚いてくれるかを考えているとワクワクするんです。
これからも、ワクワクする気持ちを大切に、新たな作品を生み出し続けたいですね。
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※一部携帯では見られない可能性があります。