江戸文字文化を継承し発展させているスゴい人!

江戸時代に盛んに使用された図案文字“江戸文字”
実は現代でも必ず目にしているのです。
本日登場するスゴい人は、国立劇場や国立演芸場などのポスターをはじめ浅草寺本堂の大提灯、浅草鷲神社のポスター、歌舞伎平成中村座の公演、大江戸温泉物語のロゴなど、沢山の作品を手がけている。
更に、神社仏閣に貼られている千社札のミニチュアを手軽に制作・使用できるミニ千社札シールを開発。
そして、かつて町火消がその組名を記した札を掲げた「消し札」
柘植の銘木に本漆で伝統の江戸文字を書き上げて作るこの消し札は、現在は災厄を逃れる意匠として多くの役者さんや芸能人からも贔屓にされている。
彼はなぜ、江戸文字の継承のみにとどまらず新たな挑戦を続けているのだろうか?
さあ・・・株式会社UNOS 代表取締役 橘右之吉様の登場です!

「江戸文字を世界へ」

父は、鳶の頭でした。
だけど私は力仕事が苦手で、高い所はもっと苦手でした。
これは鳶にとっては致命的です。
家の職業柄、幅広い方とのお付合いがあったので時々芝居や寄席に連れて行ってもらっていました。
見ているとどんどん興味が湧き、芝居の世界、それもなぜか表舞台に立つ方ではなく裏方に惹かれていきました。
中学生の頃、神社に貼ってある千社札の文字や寄席文字を真似て書いていると、親から「好きなのか?」と聞かれ「はい」と答えたら師匠に付いてキチンと教わったほうが良いと、たまたま親戚の隣に住んでいた橘右近師匠をお訪ねすることになったのです。
高校時代は学校に通いながら夜や休日は師匠を訪ね、カバン持ちをしながら見習いを始めたのです。
19歳で橘右之吉という名前を頂きやっと仕事が出来るようになりましたが、すぐにお客様がいるわけではありません。
師匠から「自分にしか無い飛び道具を持ちなさい」と教わり、それから模索がはじまりました。
ミニ千社札の始まりは、立川談志師匠が千社札をシールにされた物を使っていたのを見て、もっと小さくしたら面白いかも知れない!と閃き、小型版を作ったのです。
でも、まだ実績が無いのですぐには売れません。
京都祇園の花名刺を参考に、東京の六花街芸者衆や祇園の舞妓さん達の名前で作って舞妓さん達にプレゼントしました。
どうやって使うか聞かれたので「お客様のお財布の内側に貼ってお札が舞い込(舞妓)む」
と洒落を効かせて渡せば絶対にウケると提案したのです。
芸者さんは「もっと(元)舞い込む」と。
そこから爆発的に広まりました。
亡くなった中村勘三郎さんと初めてNYに行く時、「外国人の名前を漢字にしたり、漢字の入ったキャップやTシャツを作ったら」と言われ半信半疑で作ってみると、これも売れました。
カーターであれば「稼多」などと意味のある漢字を当て字にして。
需要は国内だけでなく海外にもあることを教えてくれたのは勘三郎さんです。
消し札は、柘植の木に漆で名前を何度も重ねて盛るので乾くまで2ヶ月もかかります。
名前を盛るのは「名を上げる」という意味があります。
千社札の上に白い余白を残すのは本物の貼り札の名残りで、「上に伸びる」という意味が込められています。
私の作品はどんどん使い込んで頂き、経年変化を楽しんで下さい。
これまでにご縁を頂いた方々へのお返しは、江戸文字の可能性を更に広げる事だと思っております。
これからも、江戸の文化を広く伝えられるよう、新しいことに挑戦し続けます。

◆株式会社UNOS
http://www.unos.co.jp/
※一部携帯では見られない可能性があります。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう