「M-1グランプリ」「THE MANZAI」で優勝したスゴい人!

漫才界の2大メジャータイトル「M-1グランプリ」「THE MANZAI」
このメジャー大会で優勝を手にしたお笑いコンビのツッコミを担当するスゴい人が本日登場する。
東京で一旗揚げたい!
そんな理由で福岡から上京した。
上京してコンビを組んで活動を始めたがなかなか売れず、本当に貧乏な生活が続いた。
「焼肉のタレのコマーシャルを見るとお腹が空くからチャンネルを変える。」
「パンを買うか、タバコを買うかで1時間悩む。」
これらは当時、彼が本当に経験したこと。
チャンスを求めて、M-1に挑戦。
しかし、いつも準決勝で敗退。
初めて決勝に進めたのは、2009年。
そこから人生は開けて行った。
最初にM-1に挑戦してから実に7年の歳月が経っていた。
さあ・・・パンクブーブー黒瀬純様の登場です!

「あくまでも自然体で努力する」

M-1で初めての決勝進出、そして優勝した2009年は、優勝を目指すような気持ちは全く無かった。
考えていたことは「ツメアト」の4文字。
何でも良い。とにかく爪痕を残したいと思っていた。
8組が競う決勝で8位になってしまうと、「スベった」「最下位」というイメージがついてしまう。
バラエティなどでも、それをネタにいじられてしまう。
よく考えると「何千組が挑戦した中での8位」であるのに、本当に残酷な世界だ。
だから何としても上位に入り、自分たちを視聴者の皆さんに印象付けたい。
そうすれば、とにかく仕事が増えるんじゃないか?
ネガティブと思われるかもしれないが、それしか考えられなかった。
決勝の舞台に上がるまで、実に7年の歳月が必要だった。
それまでチャンスに恵まれず、仕事も無い。
毎月の明細を見て膝から崩れ落ち、何とか食いつなぐような貧乏生活を続けていた。
だから「優勝」より、まずは「チャンスをつかむ」こと。
とにかく「仕事を増やすこと」の方が最優先だった。
2009年の大会直前には、6年間も結果が出ないことから「もうお笑いを辞めよう」と考える時期もあった。
それまで毎回のように準決勝で敗退していたことも大きく影響していたと思う。
そこで思いとどまった理由は、その時点でM-1出場のチャンスがまだあと2回あるということ。
ただ、今思えばもしかしたら「自分にはお笑いしかないんだ」とすがっていただけなのかもしれない。
だから、M-1で結果が出なければ辞めるしかないと相方の佐藤とも話し合った。
あと2回の大会で何とかチャンスをつかむ。
結果を出すための「努力」は欠かさなかった。
ほとんど毎日のようにネタ合わせをした。
舞台の仕事が無くても、ルミネの劇場に通った。
そんな生活を続けたが、それは誰かに強制的にやらされるということではなく当たり前のように行っていた。
あくまでも自然体で続けたからこそ、優勝という結果を得られた。
自分たちが率先して、自らが必要だと思う「努力」を続ける。
そのことに何の疑問も持たず、ただひたむきに続ける。
その積み重ねが1つの結果として表れたのだと思う。
何か成果を得たければ、行動するしかない。
確実に結果が得られる方法なんてものは世の中に存在しない。
そんなのがあったら、やっていますよ。コソ練してでも(笑)

◆劇場出演情報などはこちらから!
吉本興業芸人プロフィールページ
http://search.yoshimoto.co.jp/talent_prf/?id=500
※一部携帯では見られない可能性があります。

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