本日登場するスゴい人は、シドニーパラリンピック800mで銀メダル、アテネパラリンピック800mで銅メダルを獲得。
400m、800mの日本記録も保持しているプロ車いすレーサーだ。
海外に比べ日本の車いすレースの環境が整っていない中で、2004年3月には日本人初のプロアスリートとして独立。
初めて日本一を獲得してから地道にスポンサーを集め、9年もの歳月をかけて目標を達成したのだ。
これだけのことを成し遂げた彼だが、事故に遭うまでは夢も目標もなかったと語る。
そんな彼がなぜ、世界の舞台で活躍するようになったのだろうか?
さあ・・・プロ車いすレーサー 廣道純様の登場です!
「どうせ、生きるなら」
学生時代、部活に入っても先輩とぶつかってすぐにやめてしまい、中2で新聞配達を始めてお金を稼いでいたので、遊んでばかりいました。
「高校だけは行っておけ」と言われて仕方なく工業高校に入学すると、小学生の頃から憧れていた体操部があったのですぐに入部。
毎日真面目にトレーニングをしていましたが、部活とバイトと遊びの繰り返しで夢も目標もありませんでした。
そんな中、高校1年生の11月にバイクで事故を起こし、脊髄を損傷しました。
痛みも感じないまま、気が付いたら病院のベッドの上。
一歩間違えば死んでいてもおかしくない事故。
最初に思ったことは、「バイク事故で亡くなる人もいるのになんで俺は助かったんだろう?」ということでした。
周りの人からは大変だね、かわいそうだねと言われましたが、全て自分が悪いので、今まで間違って生きてきた代償だと思いましたね。
事故がきっかけで自分の生き方を考え直すことができたので、これは神様が与えてくれたチャンスだと思いました。
体操をやっていたので腕の力が十分にあって、車いすに乗る基礎はできていました。
不自由になったという感覚は無く、生まれた時から車いすだったんだという気持ちで受け入れました。
そうしたら、次から次へと楽しいことが起きたんです。
リハビリの先生に車いすレースを教えてもらって、すぐに見学をしました。
風を切って走っている先輩がかっこよくて、でも自分でやってみたらすごく難しくて、負けず嫌いに火が付きました。
91年にレースデビューして、96年に日本一になって、それからはとんとん拍子でした。
僕はやりたいと思うことに突進します。
迷いはありません。
一度、転職して仕事が忙しくなり練習ができず、成績が落ちてしまった事がありました。
その時も、練習時間を確保するためにもう一度転職して、転職先が競技に集中できる環境を整えてくれたので、シドニーで銀メダルを取ることができました。
自分が思ったことをやって、たとえ悪い結果になっても学びがあるし、うまく行かなかった時間も無駄にはならないのです。
車いすレースの世界記録保持者は55歳で今も現役です。
世界のトップ選手も半分近くが40歳以上。
僕は今40歳なので、60歳までは現役で戦い続け、車いすレースで家族を養っていきたいです。
次の目標は、リオパラリンピックでのメダル獲得。
そして、2020年東京で金メダルを獲りたいと思っています。
◆廣道純オフィシャルサイト
http://www.jhiromichi.com/
◆車いすアスリート廣道純オフィシャルブログ「これがヒロミチジュン」
http://ameblo.jp/jhiromichi/
◆出演依頼はこちら
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