本日は、自動車の燃費部門においてなんと4つのカテゴリーでのギネス記録を保持しているスゴい人が登場する。
彼の本業は、内科と小児科の医師。
若い頃にスーパーカーに魅了され、車マニアになった。
だからと言って最初から「燃費」に興味があった訳ではない。
ある日、イギリスの2人の警官が燃費の世界記録を作ったという雑誌の記事を目にして「自分ならもっとスゴい記録が出せるはずだ!」と感じた。
思い立ったら即行動!すぐにチャレンジを決めた。
1988年当時でも20年以上前の車である「トヨタS800」を購入・修復し、それをイギリスに持ち込んで挑戦した。
記事で見た世界記録は超えたものの、既に記録は更新されており、世界一とはならなかった。
でも、このままでは終わらない。
再挑戦の結果、見事に世界記録を更新。
どうやってこんなことを実現できたのか?
「全てはご縁である」と彼は語る。
さあ・・・内科・小児科医「燃費男」 宮野滋様の登場です!
「人生は見えざる手に導かれて」
最初のアタックから数年後の92年、93年に記録に挑戦していますが、そこには信じられないほどの方々の支援がありました。
92年はホンダが支援してくれ、しかも67年のF1チャンピオンである「デニスハルム」がドライバーとして参加してくれました。
翌年は、マクラーレン創始者・ブルースの娘「アマンダ」がドライバーとして参加、彼女はその後も協力してくれました。
どうしてこんなことが?
全ては見えざる手に導かれたのだと思います。
ドイツでS800のレース観戦中にドライバーのオルトマンと知り合ったのですが、彼がイギリスで発掘したS600は、デニスがF1にステップアップするきっかけになったマシンでした。
また、シベリア鉄道での旅行中にイギリス人の女性に出会ったのですが、その親戚が多くの名車を持っているということでイギリスまで逢いに行き、その中にデニスがかつて乗っていたF1マシンである「マクラーレンM8D」も含まれていました。
2つの運命の糸が絡んだ時、すぐにデニス本人に手紙を出しました。
『かつて乗ったホンダS600でクラッシックカーレースに出ないか?』
彼の答えはOKでした。
それが彼との縁の始まりです。
その後、たまたま熊本にあるホンダの工場に川本社長(当時)が来訪された際にプレス向けのイベントが開催されたのですが、私は車雑誌のライターなどもしていたので、そこに参加することが出来ました。
そこで社長に「デニスとシビックで燃費の記録に挑戦をしたい」と直談判しました。
川本社長もデニスとはEUで共に戦った戦友であり、「懐かしい」と言ってくださって協力を得ることができました。
その後、イギリスで出逢ったM8Dがきっかけで、マクラーレン創始者ブルースの命日の
メモリアルイベントをプロデュースすることになり、奥様のパティや娘のアマンダ、ジャック・ブラバムなど、自動車業界のレジェンド達と知り合いになることも出来ました。
こうした出会いやご縁に巡り合うのは、自動車業界に身を置く人ですら難しいことです。
縁を大事にしていくことでさらに多くの人たちとの素敵な出逢いがあり、自分でも信じられないほど奇跡的な出来事が起きました。
それはひとえに「ひごもっこす」という熊本人特有の性質。
つまり、「一度決めたら、テコでも動かず。何が何でもやり切る」という考えが根底にあるのだと思います。
ちなみに写真を撮った部屋は、現在はリノベーション中の自社ビル。
35年前は、細川護煕氏(参議院議員:当時)の熊本事務所だった。
その後、日本国総理大臣に。
これも縁ですね。
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