落語の林家一門を支える“おかみさん”として活躍を続けるスゴい人!

落語家・初代林家三平の妻であり、おかみさんとして林家一門を支え続けてきたスゴい人が本日登場する。
夫・初代林家三平氏が亡くなってから今日まで33年間、林家の看板を守るために奔走し続けてきたおかみさん。
彼女が乗り越えてきた困難は数知れない。
彼女はエッセイストとしても活躍しており、『ことしの牡丹はよい牡丹』『海老のしっぽ』『うしろの正面だぁれ』『半分のさつまいも』など、数々の書籍を執筆している。
いつも笑顔で、弟子たちに元気を与え続けるおかみさんのこれまで過ごしてきた人生、そして目指す目標とは?
さあ・・・エッセイスト 海老名香葉子様の登場です!

「泣いて、笑って、頑張って」

夫が亡くなってからは、悲しみに浸る間もなく立ち向かわなければならない事がたくさんあって、毎日が戦いでした。
落語協会から、林家三平が亡くなったので一時は一門全員除名とまで言われました。
ですが、二番弟子のこん平を連れて協会の会長のところへ行き「私がこの子を支えながらやっていきますから」と伝えると、協会に所属する許可が下りたのです。
それから、理事の皆さんのところを一軒一軒まわり、それまで全く相手にもしてくれなかった人たちがようやく私たちのことを見てくれるようになりました。
夫の療養中に出版社から本を書くお話を頂いて、「小学校もろくに出ていない私だけど、頑張ればできるかな」と思い、本の執筆を始めました。
看病の合間に一生懸命書いていましたが、夫が亡くなった途端に「おかみさん、これは売れないよ」と言われて出版の話はなくなってしまいました。
そこに、別の出版社からまたお話を頂いて、書いていた原稿を見せたところすぐに出版する運びになり、一気に38万部を売り上げ、ベストセラーになったのです。
夫が亡くなった後はメディアの人が助けてくださり、テレビ、身の上相談役、新聞、雑誌などの仕事をするようになり、「そんな夕子にほれました」の作詞もしました。
そのお陰で大変な時期を乗り越えられたと感謝しております。
私も3度心筋梗塞になり、度々病気をしましたが、苦しいことなくすぐ立ち直りました。
毎日へとへとになるまで働いて、悲しい、泣きたいと思うよりも先に眠ってしまっていましたね。
頑張ろうと思えば、何とかなります。
私は「頑張る」って言葉が好きです。
人間、生きたからには頑張らないといけないのです。
私はいつも笑顔でいるように見えるでしょう。
小さい頃に母から、
「笑顔でいればみんなに好かれるのよ。だからいつもニコニコしていましょうね」
と言われたのですが・・・
現在は「ねぎし三平堂」をつくり、家業である落語会を続けています。
また2005年には、40年かけてようやく上野に平和の母子像「時忘れじの像」を作ることができました。
毎年3月9日には「時忘れじの集い」という東京大空襲の供養のための式典をいたしました。
全国に散った人たちも含めて今年は1500人もの人が集まってくださいました。
戦争の悲しみを二度と繰り返さないように、私には伝えなくてはならない使命と思います。
あと30年は生きて使命を果たしたいと思っています。

◆ねぎし三平堂
http://www.sanpeido.com/f01_goannai.htm

◆海老名香葉子著書一覧(amazon著者ページ)
http://www.amazon.co.jp/%E6%B5%B7%E8%80%81%E5%90%8D-%E9%A6%99%E8%91%89%E5%AD%90/e/B004L354A8/ref=sr_tc_2_0?qid=1397984940&sr=1-2-ent

※上記サイトは、一部携帯では見られない可能性があります。

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