“mastermind JAPAN”この名前を耳にしたことがある人も多いのではないだろうか。
日本の高い技術と最高品質の素材を用いたスカル(骸骨)がトレードマークのメイド・イン・ジャパンのアパレルブランドである。
ゼロからブランドを立ち上げ、全く売れなかった時代を乗り越え欧州、アメリカ、そしてアジア圏などの世界展開に成功したが、なんと人気絶頂の2013年、15周年の区切りにブランド活動の休止を発表したことでアパレル業界に激震が走った。
なぜ、ここまでファンが増えたブランドの活動休止を宣言したのか?
さあ・・・mastermind JAPAN デザイナー 本間正章様の登場です!
「すべては、お客様のため」
私は新潟県佐渡ヶ島で育ちました。
床屋を営む父は、当時のファッションの先端を求め、ヨウジヤマモトやイッセイミヤケなどの上質な服を派手に着こなす異色の存在でした。
勉強でもスポーツでも目立てない私は、いつしか父の目を盗んでは父の持っている洋服をこっそり着て友人に会うようになりました。
もちろんサイズは全然違いましたが、良いモノは着心地も良く洋服の魅力にハマっていきました。
長男であった私は新潟の父の床屋を引き継ぐのだろうと思っていましたが、どうしてもファッションへの想いを捨てきれず、高校を卒業してイギリスに留学しました。
1年という短い期間でしたが、勉強そっちのけで当時流行っていたクラブに入り浸り、毎日ウインドーショッピングをしていました。
帰国後、ヨウジヤマモトの求人をたまたま新聞の片隅で見つけ、履歴書を送ったのです。
イギリスの地で、同じ日本人として大きなショップを持っていたヨウジヤマモトへの憧れですね。
7年後、裏原宿ブームの時代に満を持して会社を設立し、今のmastermind JAPANを立ち上げましたが、当初は全く売れませんでした。
資金も底を尽き、借金だらけ。
両親に「もう諦めなさい」と言われた時ほど悲しいことはなかったですが、“最後の最後”のチャンスとして挑んだパリの展示会であるバイヤーに言われたんです。
“価格と質のバランスが良くない”この一言で、決めました。
当時の安く商品を作る流れと逆行し、他のブランドがやっていないレベルの素材で作り込みをして、高価になっても胸を張って売ろうと。
大勝負に出たのです。
その結果、翌年そのバイヤーさんが大量に買い付けてくれたのです。
正直、入金があるまで信じられなくて夜も眠れないほどでした。
立ち上げから10周年の頃、思いました。
“もし、このブランドの人気が下降したらお客様はどう思うのか?”
他より高い価格でも服の良さを信じて買ってくださったお客様にとって、mastermind JAPANが時代の流れで消滅したら、絶対に買った服の価値を疑ってしまうと。
だから、私は決めたのです。
ピークを目標に、休止しようと。
それは、あと5年、15周年を迎える2013年でした。
周りからは止められましたし、本当に辞めるとは誰も信じていなかったみたいでした。
結局、お客様のためなんです。
お客様が求める良いモノを丁寧に提供すれば、絶対にお客様は正しい判断をしてくださいます。
創業から15年。
本当につらい時期もありましたが、一区切りついた今、これからも周りの人達への感謝だけは伝え続けたいと思っています。
◆mastermind JAPAN Official Blog
http://ameblo.jp/mastermindjapan19970514/
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