車を用いて競技を行う“モータースポーツ”
本日登場するスゴい人は、学生時代からモータースポーツの競技に没頭し、全日本ツーリングカー選手権では89、90年とDiv.2のシリーズ2位。
ニュルブルクリンク24時間耐久レースクラス4位入賞。
1984年の全日本ラリー選手権Aクラスチャンピオン、1979年には日本人として初の海外ラリー制覇を達成した。
大学を卒業後、モータージャーナリストとしての活動を開始し、現在は日本自動車ジャーナリスト協会の会長を務めている。
車一筋の人生。
彼はどうして夢をかなえることが出来たのだろうか?
さあ・・・日本自動車ジャーナリスト協会 会長、株式会社パワード 代表取締役 日下部保雄様の登場です!
「道は開ける」
祖父が東京で経営していた旅館が空襲で焼け、タクシー会社に土地を貸していたため、幼い頃から車を良く見る環境で育ちました。
中学生の時に日本グランプリを見て、自動車熱が再び起こりました。
高校では体育会自動車部に入部して、そこで日々クルマ漬けの生活を送りました。
自動車部では基本的な運転技術を競う“フィギュア”や、長距離競技の“ラリー”を主に行っていました。
ですが、よりスポーツ寄りの競技をしたくなり、大学では自動車部には入らずに自分達でクラブを作って年に5、6回社会人ラリーやレースに参加していました。
この頃にドライビングスキルの“いろは”を学びましたね。
大学を卒業後、一度はサラリーマンをやってみたのですが、その生活の中でモータースポーツを続けるのは難しいと感じていました。
そこで、自分に出来て比較的時間の自由の利くライターになろうと思いました。
大きなラリーがあると、モータースポーツ雑誌の編集部が取材に来ており、ライターとして原稿を頼まれる事があったので、モータースポーツの取材などをしては原稿を送っていました。
頑張っていると認めてくれる人がいるもので、執筆の仕事は徐々に増えていきましたね。
ですが、原稿料だけでは生活が苦しくなる事もありますし、仕事が増えれば取材や原稿に追われ、時間がなくなります。
また、自分で考えて提案した企画は良いのですが、編集部の企画で自分が思っていることとは違うことを書くときなどは、筆が進まずに苦労しましたね。
しばらく執筆をしていると、それまではモータースポーツの専門誌の記事を書いていたのが一般の自動車専門誌からも声がかかったのです。
これは、私にとって視野を大きく広げるきっかけになりました。
競技車は速く走る為の車ですが、一般車の場合は広さや運転のしやすさなど、競技車とは全く異なる点に重きを置いて作られている為、視点がモータースポーツに偏らないように気をつけるようになりましたね。
自動車の試乗会や研修会を開催するイベント会社を立ち上げて10年になります。
今後は、海外にも目を向けて、色々な国の人たちと一緒に車の魅力を伝えていきたいですね。
一生懸命やっていれば、道はひらけるものです。
がむしゃらにやるのではなく、行き詰まったら他の所にも目を向けてみる。
人生色々、どこに何が落ちているか分かりません。
道は開けると信じて、好きなことを一生懸命にやり続けてください。
◆株式会社パワード
http://www.powerd.co.jp/index.html
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