小中学校までは親の敷いたレールの上を走る人生だったと語る、本日登場のスゴい人。
高校時代に自分のやりたい事をできる自由を初めて知り、束縛への反動から、高校時代は1日10時間もマジックの練習をしていた。
家庭が厳しい為に家では練習をできず、通学電車の窓ガラスを鏡代わりにマジックの練習に没頭していたと言う。
文化祭の後夜祭で行った20分のマジックショー。
2000人もの観客の前で暗闇の中スポットライトを浴び、声援と拍手を受けたその経験が、彼に「またステージに立ちたい」と思わせた。
高校3年生の夏、初めて出場した大会テンヨージュニアコンテストでは準優勝。
次いで出場したワールドマジックセミナーではベスト8進出。
そして、IMX youth magic contestでついに優勝を掴んだ。
彼が優勝を手にした決め手は、ある“思い”であった。
その思いとは?
さあ・・・マジシャン志村祥瑚様の登場です!
「精神的自由」
大学進学後、世界レベルのマジックを学びたいと思い、親にはUCLAに語学留学をすると言って交渉し、1年間留年をしてロサンゼルスのマジックキャッスルに行きました。
そこで本物のマジックに触れ、マジックは“タネ”や“テクニック”ではなく、どのように“演じる”かが大切であることを知りました。
それからはただ練習をするのではなく、コンセプトやパーソナリティなど、演出にもこだわるようになりましたね。
IMXに出たのは、アメリカから帰ってきてすぐの5月でした。
21歳までの年齢制限があり、その時がラストチャンスだったので、すぐに出場を決めました。
ただ、コンテストに出る為には学校を1週間休まなければなりません。
医学部の2年生は授業が忙しく、特に解剖の実習は絶対に休めないと言われていました。
IMXに出たいと言うと、2年生の授業の重要さを知っている親からは当然のように猛反対を受けましたね。
1ヶ月間親とケンカをしながらマジックの準備を進めた結果、説得するのは無理だと判断し、無断で出る事を決意しました。
それから、安い飛行機やホテルを探して予約し、ばれないように毎日少しずつ荷物を運び出して学校のロッカーに渡米用の荷物を纏めていました。
出発当日、友人と勉強会をすると言って家を出て、深夜便の飛行機に搭乗して離陸20分前に家へ電話をし、「優勝して帰ってくるから」とだけ伝えました。
親の猛反対を押し切って出場したというプレッシャーも、周囲の人たちにも助けてもらい、後は感謝を持ってやるだけだと思うと、ステージ上では楽しんで演じられ、優勝を勝ち取る事ができました。
思えば、二年前に入賞できなかったワールドマジックセミナーでは、周りの出場者に比べて圧倒的にハングリー精神が足りませんでした。
自分で稼がなければ食べる事もできない人やアメリカンドリームにかけている人の中で、僕は飛行機やホテルの手配も全て父がやってくれて、医学部を卒業すれば将来も決まっている身。
もっと自分を追い込まなければ、勝てるはずがありませんでした。
日本でのマジックは“芸”のように思われがちで、本場マジックキャッスルで行われているマジックとは程遠いイメージです。
今後は、自分が学んだものを業界に還元し、日本にもマジックキャッスルを作りたいですね。
そして、日本のマジックのレベルの底上げをし、見る人にも新しいエンターテイメントを提供したいと思っています。