本日登場のスゴい人は、15歳で歌手としてデビューし、ピンキーとキラーズのメインボーカルピンキーとしてデビュー曲「恋の季節」が200万枚以上を売り上げ、続く「涙の季節」も150万枚の売上を記録。
10代でミリオンヒットを2作も持ち一世を風靡した。
しかし、あまりの人気に多忙を極め、寝る暇も無く学校にも通えない日々が続いた。
その後、4年間の活動を経てピンキーとキラーズは解散した。
その後、ソロとして順調に活動を続けるものの、彼女には大ヒットを記録したが故の試練が待ち受けていた。
彼女はどのようにして試練を乗り越え、デビューから46年経つ今も現役で活躍し続けているのだろうか?
さあ・・・歌手 今陽子様の登場です!
「エンターテイナー」
20歳でピンキーとキラーズを解散した時、すぐにミュージカル「死神」の主演をさせていただいて、私自身は、もともとミュージカルをやりたかったから満足していました。
でも、世間の目は“ピンキーとキラーズのピンキー” としてしか見てくれないので、そのギャップがとてもつらかったですね。
それだけ売れた、というのは本当にありがたい、名誉な事なんですけど、“アーティスト今陽子”としては一番苦しんだ時期でした。
それから逃げるように22歳で結婚して、女性としての幸せを得ました。
でも、若いから結婚ごっこみたいになってしまって結局26歳で離婚。
この時はダブルパンチでした。
仕事もダメ、結婚もダメでどーんと地獄に落ちちゃったんです。
仕事の依頼はあったけれど、お酒の席でばかり歌うのはアーティストとして虚しくて、それで30歳になる前に大改革をしたいと思って、28歳でニューヨークに留学したんです。
留学中は本場のミュージカルを見たり、レッスンを受けたりして過ごし、30歳の誕生日を迎えてブロードウェイオーディションの合格とか、いろんな“お土産”を持って日本に帰ってきました。
この留学が、アーティストとしても人間としても今の私を作る大きな転機になりましたね。
丁度その頃は、日本でもブロードウェイミュージカルやショーレビューをできる環境があって、30歳から40代までは私の大好きな、歌って踊るショーができたんです。
それでもまだ「恋の季節は歌わないの?」なんて言われて、初めのころは意地になって横文字の曲ばかり歌っていたけど(笑)
だんだんと受け入れて歌うようになりましたね。
今は、お客さんと語り合える距離でのライブが好きです。
小さいライブハウスではピアノやギターとのデュオでやっていますが、ピアノもギターも超一流の方たちとできているので、今もし声が出なくなっても十分幸せと思うくらいです。
これができるのも本場で学んで、続けてきたからだと思いますね。
これからも歌える限り歌い続けたいし、「懐かしい」だけじゃなくて今も前進し続けている今陽子というアーティストを知ってほしいです。
私は成功しているように見られるけど、失敗をたくさんしてきたからここまで来られました。
やっぱり失敗をしないと成功しないから、失敗はいっぱいした方がいい。
恐れているとそこで止まっちゃうけれど、勇気を持ってぶつかれば絶対何か得る物があります。