準ミス・インターナショナルという栄冠を勝ち取り、モデルとして活躍中のある夜、突然襲った交通事故。
その事故は、彼女の健康を一瞬にして奪った。
しかし、彼女は絶望の淵から這い上がり、イギリスで行われた国際ストーク・マンデビル競技大会(車椅子の世界大会)金メダル、アテネパラリンピック射撃日本代表など車椅子競技で活躍し、講演の依頼が舞い込むようになった。
彼女はどのようにして失意のどん底から抜け出し、新たな栄冠を獲得出来たのだろうか。
さあ・・・エッセイスト バリアフリー啓発講師 鈴木ひとみ様の登場です!
「襲い来る挫折の繰り返し」
自信の無い自分をなんとかしたいともがいていました。
そんな時、テレビでミス・インターナショナルが開催されることを知り、姉の勧めもあり書類を送ってみたところ、地区大会を勝ち抜き準ミスになれたのです。
1年間のミスの仕事を経てモデルの世界に入りました。
ある撮影の帰り、急ブレーキで車が回転し、後部座席に座っていた私は路肩にぶつかった反動で後ろの窓ガラスを突き破り、100m飛ばされて土の上に落下。
首の骨を折りましたが奇跡的に助かりました。
それは結納3週間前の出来事でした。
入院10日目に主治医が来て、足は動きませんが気を強く持って生きてください、と冷静に伝えられ、泣いてはいるのですがどこか自分事のように思えませんでした。
リハビリに向かう途中で見た食堂の空間に違和感を感じました。
テーブルが5つあるのに椅子が2つしか無い。
皆車椅子でテーブルに向かうためです。
目の前に、私も車椅子の生活になるのだという現実を突きつけられました。
そこで、初めて死にたいと思いました。
歩けないからではなく、車椅子=半人前の人間であり、人から期待されない価値の無い人間になってしまったと思ったのです。
友達も皆離れてしまうという不安からくる孤独感と疎外感に襲われました。
しかし、驚く事に、恋人は全く気持ちが変わらずにいてくれました。
それは自信になりましたが、自ら身を引くのが彼のためだと思い「負担になるから別れましょう」と手紙を書きました。
返信の手紙にあった「とりあえず5年、いや3年でもいいから頑張ってみよう。もしそれでも頑張れなければ、生きることに疲れたら、その時は一緒に死ねばいい」
この1行に救われました。
そして、現実を忘れて無になる時間が欲しくて黙々と5階まで非常スロープの昇り降りを繰り返していたら、入院中にも関わらず東京都の大会でスラロームの部門で優勝してしまい、鳥取の国体も大会新記録で優勝。新聞にも大きく報道され、講演依頼が来たのです。
人前で話すなんて・・・と思いましたが、話すことではなく誰かに手助けしてもらう事を避けているのに気付き、どんなに頑張っても一生誰の手も借りずに生きていく事は健常者でさえ出来ないのだと一大決心をして、講演依頼を引き受けたのです。
挫折は決して無駄にはならない。
それをムダにするかしないかは、後の自分の人生で決まります。
努力しても叶わなくて理不尽なことはいっぱいあるけど、それも無駄じゃない。
諦めないで粘り強く自分の人生を期待して欲しいです。