本日登場のスゴい人は、大阪で結成したバンドでデビューし、その後、ソロアルバムを出したものの売れず、苦しい時期を過ごした。
そんな時期に、CMなど限られた時間の中で音楽を表現する仕事をスタート!
そして、今や日本を代表するお昼の番組「笑っていいとも!」のオープニングソングを生み出した。
沢田研二、アン・ルイス、ウルフルズなどをプロデュースし、2009年より新たな試みのソロ弾き語り全国ツアーをスタートした。
彼は何故、数々のヒット曲を生み出す事ができたのだろうか?
さあ・・・作曲家 伊藤銀次様の登場です!
「風を読む」
志望校に合格して親にエレキギターを買ってもらってからは、ひたすら自分の耳で色々な曲をコピーしました。
当時、ビートルズの譜面が無かったので、学校から家に帰るとレコードプレーヤーの前に座り、針を何度も落とし、「ジャッ」という響きの中に音を探し、自分でコードを押さえて確認。
まるで砂漠の中から一本の針を探すような気分でしたが、慣れてくると音もだんだん聞こえて来ました。
自分はコードも勉強してわかっていたので、リズムギターを率先して弾いていたら4つのバンドから声を掛けられ、掛け持ちしていました。
大阪から東京に上京して勝負に出てソロアルバムも出しましたが、全く売れません。
大阪で自分の様な人間はいないと自負していましたが、東京に出て来て山下達郎さんや坂本龍一さんと出会い、耳コピーなんて当たり前。
音楽の理論やバックグラウンドの知識がずば抜けている凄い人と出会い、完全に自分を凌駕され、天狗になってのびていた鼻がポキンと折れたのです。
次にチャンスが来るまでに自分に足りない部分を補っておけば必ずものに出来るはずだと思い、大阪には戻りませんでした。
我流でやっていくことに限界を感じ、理論の勉強をしようとしていたところに、CMの仕事の話が入って来ました。
普通の曲は3、4分であるのに対してCMは15秒という限られた時間。
考え様によっては難しいけれど、物凄く凝縮した形で研究が出来ると思い、クライアントの要望にも答えながら音楽性を失わない方向を探り続けました。
CMの曲作りを続けるうちに松原みきさんのバックバンドのリーダー佐野元春さんと出逢い、彼のイメージを譜面に落とし、続いて沢田研二さんのアルバムアレンジとまさに2度目のチャンスを掴めたのです。
上京してきてから奈落の3年間は辛かったけど、その時間があったから皆の要望に答えることが出来るように成長していたのです。
風が止んだように仕事がぱったりと来なくなったら「自分の中に新しいモノをインプットしなさい!」という神様からのお告げだと思います。
新しいものを見たり聞いたり体験する時間。
自分の心をオープンにして入ってくるものを拒まないようにします。
次の風が吹いた時に乗れる自分を作る時間なんです。
60歳を過ぎても新しい発見が多いです。
殆ど自分は何も知らないんだと思うくらいです。
まだまだ音楽に関してもっと追求し、新しい興味関心を曲におりまぜて行きます。