日本に66の病院をはじめとして、総数430以上の医療福祉施設を擁する日本最大の医療法人を創り出したスゴい人!が本日登場する。
『生命だけは平等だ』の理念の下、24時間365日無休で救急患者を受け入れ、健康保険の3割負担も困っている人には猶予するという方針で多くの人の命を救ってきた。
彼はどのようにして、日本最大の医療グループを、創り上げたのか?
さあ・・・医療法人徳洲会理事長 徳田虎雄様の登場です!
「無理な努力、無駄な努力、無茶苦茶な努力」
私は小さい時から勉強が嫌いで得意ではなかったので、人より勉強するスピードが遅かったのです。
だから、土日も休み無く、1日16時間は勉強しました。
大学の受験勉強が一番辛かったです。
働き出してから平均して1日16時間は仕事をしてきたと思いますが、これは、学生時代の習慣が抜けきらず今でも続いているのです。
でも辛いと思ったことは無く、私にとって仕事が趣味なのです。
大阪府松原市に徳洲会の第1号となる徳田病院を作ってから今にいたるまで、「困っている患者さんを助けたい。一人でも多くの命を救いたい。」
この大欲が、私を突き動かしているのです。自分のために何かしたいというような私欲は、一切ありませんでした。
最初の病院を立ち上げた時に、今ほどの規模になることは全く想像もしていませんでしたね。
『日本には急患が溢れているのに、救急医療の体制が充実していない。』
その問題に全力で取り組んでいると様々な矛盾が目の前に現れましたが、真っ向から突き進んできました。
医療改革を起こすべく、自ら政治家にもなりました。
もうダメだと思ったこともありました。
ノイローゼになったことも3回ありますし、自分で自分に弱音を吐いたこともあります。
でも、どんなに大きな壁に当たっても、真実であれば、無理な努力、無駄な努力、無茶苦茶な努力を重ねることによって道は必ず切り開かれると思い、辛抱しました。
2002年4月1日に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症しました。
病気に気づいて直ぐにアフリカ30カ国の大使と面談して、各国の医療の実情をヒアリングしました。
ALSの病気の影響で自由に動きまわれる時間が限られていたので、直ぐに外国を周って今後200の病院を作る計画を立てたのです。
この病気は、筋肉が衰えて手や足が動かなくなり、食事などもできず、呼吸さえも自分ではできません。
しかし、残された眼、耳、脳の機能は冴え渡っています。
病気をきっかけとして政治家の仕事も引退し、病院作りの計画に専念できるようになりましたから、今ではこの病気に感謝をしています。
若い人に伝えたいのは、もし今、お金が無くても、能力が無くても、無理な努力、無駄な努力、無茶苦茶な努力をすれば、自分の夢や目標は必ず達成されるのです。
だから、決してあきらめないでください。