史上最年少・最多得票で八戸市議会議員に当選を果たしたスゴい人!

告示から1週間前に出馬を決め、八戸市議会議員選挙史上最高の6962票を獲得し、トップ当選を果たしたスゴい人!が本日登場する。
その美貌が注目を集め、美人過ぎる市議としてメディアで取り上げられ、トイレの中までも追い回されるという加熱報道ぶりに議員活動に支障をきたした時期もあったという。
2011年には再選を果たし、港湾振興・震災対策特別委員会委員長を務め、八戸の復興に取り組み、全国での八戸市のPR活動も精力的に行っている。
彼女が選挙に出ることになったきっかけとは?
さあ・・・青森県八戸市議会議員 藤川優里様の登場です!

「チャンスを掴む」

父は、青森県の県議会議員選挙に立候補していました。
私は東京での就職が決まっていたのですが、父の選挙戦を手伝うために地元に帰っていました。
ウグイス嬢をしたり、後援者の方に支援をお願いしたり、連日父の事務所に詰めてできることは何でもしました。
しかし、結果はあえなく落選。
それでも支援者の方が選挙事務所からすぐに立ち去ろうとせず、20名の方が熱気そのままに残っていました。
普通は、候補者が落選すると、支援者の方は蜘蛛の子を散らすようにパラパラと姿を消してしまうものです。
残っている20人もの人たちを見て、「支援者の方の気持ちに応えたい」と1週間後に告示の迫った市議選に、娘の私が立候補することを決断したのです。
選挙活動を通じて、父がお年寄りの方や体の不自由な方に頼りにされているのを、肌で感じていました。
「その人達を今度は自分が助けたい」という気持ちが強く沸いてきたのです。
気付いた時には、その場にいる支援者の方の前で、
「私に市議選を戦わせてください。」と土下座して叫んでいました。
その場にいた父は、最初は反対しました。
父には私を「普通の主婦にしたい」という夢があったのです。
しかし、父が相談したある政治家から若い人の芽を摘むのは良く無いと応援してくれることになりました。
選挙戦では、朝の8時から夜12時まで活動して毎日3時間ほどしか眠れず、慣れない生活のために1週間で5キロは痩せました。
開票の時は、当選するとは思っておらず、不安で不安でたまりませんでした。テレビも無い自室で母が当選を知らせてくれました。
選挙事務所に行き、喜ぶ支援者の皆さんの顔を見て、「選挙に出てよかった」としみじみ思いました。
当選できたのはスタッフや支援者の皆さんのおかげだと、心の底から感謝の気持ちが湧き上がりました。
多くの政治家は、この感謝の気持ちに支えられ日々頑張ることができるのだと考えます。
私は急遽選挙に出ることを決めて、当選することができました。
周りの方の支援力が大きかったのですが、運も良かったと思います。
目の前に回って来たチャンスをうまく掴めたのですね。
私の夢のひとつに、子供たちのなりたい職業ランキングに政治家が入るようになることがあります。
そのためにも、これからも私にできることを精一杯頑張ります。

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