野村万蔵家の組織「萬狂言(よろずきょうげん)」を率いて、九代目当主として国内外で活動を展開。
代々受け継いできた技と心を重んじ、古典を正しく美しく守り伝えていきながらも新しい取り組みも積極的に行い、ウッチャンナンチャンの南原清隆氏と共にコントと狂言のコラボレーションを試みた「現代狂言」を2006年に旗揚げし、毎年全国ツアーを行い大盛況となっている。
しかし、由緒ある野村万蔵の名前を受け継ぐことになったのは突然の出来事だったという。
代々受け継がれる狂言の本質とは?
さあ・・・野村万蔵家九代目当主 野村万蔵様の登場です!
「狂言の本質を守る」
3歳の時から狂言を始め、アメリカの音楽や服装などに憧れを持った時期もあり、狂言をやることに反発をしていた時期もありました。
友人から、「お前は職業が決まっているからいいよな」と言われることもあったのですが、「色々な職業を選べる自由があった方がいいじゃないか」と内心では思った時期もありました。
でも、父も、祖父も、周りの親戚も、まじめに狂言に取り組んでいる。
その姿が本当にカッコいいので、狂言の世界で生きていこうと思えたのです。
狂言の稽古では師匠から褒められることは無く、ダメなところを指摘されます。
時には殴られたり、無視されたりもします。
指摘をされない日があれば、今日の演技は良かったのだと理解していました。
若い時にやりたいことをやらず、苦しい稽古を続けると、忍耐力がついて自分の肉体を通して芸がにじみ出てくるようになるのです。
今までで一番辛かったのは、20才の時に師匠に稽古をしてもらえず、そっぽを向かれた時でした。
この頃の私は自分の実力が付いてきたと思い上がり、生意気になっていたのです。
この時に、師匠の存在の大きさや野村という名前の後ろ盾の大切さ、一人では狂言の舞台は成立しないということを、痛感しました。
辛かったですが、師匠や周りの人のおかげで本当にいい勉強をさせていただきました。
2004年に母と兄が亡くなりました。
母が2月に亡くなり、ちょうど一家が一丸となってがんばっていこうと話をしていた直後に兄のガンが見つかったのです。
その時、兄が翌年に野村万蔵の名前を受け継ぐことが決まっていました。
ガンの進行が早く、その半年後に兄が亡くなり、突如、私が野村万蔵の名を継ぐことになったのです。
でも、突然のことですから心の準備もできていません。
そこから5年間は、地に足が付かない状況でした。
最近やっと、落ち着いてきたかなと思います。
私には、狂言を少しでも向上させて次につないでいく責任があります。
時代に合わせて演目の台詞などを変えることはありますが、狂言の本質が希薄になってはいけません。
ただの芝居をするのでは無く、神事として始まった狂言の哲学や精神が舞台に息づいている、そんな演技をこれからも続けていきます。