起業後、一代で売上高2千3百億円、4万人を超える従業員を抱える巨大な総合サービス企業にまでにしたスゴい人!が本日登場する。きっかけは、学生時代にケガで野球を続けられなかったこと。この挫折から、“日本一の商売人”を目指すようになった。
野球が取り柄だった少年は、高校3年生で親戚が営む食堂を受け継ぎ店主となった。車の往来の激しい場所だったので、店を24時間営業にし、猛烈に働いた。しかし数年後、客足が激減し、あっけなく閉店。
これが、商売人として最初の挫折。この後も多くの挫折を経験した。
“挫折が人をたくましくする”多くの失敗や挫折により、人は教えられ、育てられていく。そう彼は語る。その思考の原点とは?挫折を大成功につなげる秘訣を教えていただきましょう。
さあ・・・シダックス株式会社取締役最高顧問、志太勤様の登場です!
「成功は“志”の強さで決まる」
事を成すときに必要なもの。それは“志”。これを幼いころから意識していた。
野球ができなくなってから、次の目標として、“日本一の商売人になろう”と決めた。
最初に始めたのは国道沿いの“食堂”。初期は儲かったが、バイパスの完成に伴い客足が激減し、廃業した。
次に、“アイスキャンデー製造販売”。この事業も順調に拡大していったが、出火原因のわからない火事で工場が全焼し手元には借金だけが残った。
知り合いのツテを頼って東京へ行き、現在のシダックスの原点となる、工場の食堂の仕事を受けることができた。
実は、「給食事業は自分が生涯取り組むべき仕事では無いのではないか?」と疑問を持っていた時期もある。
一生懸命に給食を作っても、同じようなメニューでは飽きられてしまうことがあったからだ。
そんなときに、アメリカの給食業界を視察。同国の業界人トップに言われた言葉に大きく意識を変えられた。
「給食サービス業は、国の発展に寄与する立派な業種、誇りの持てる業界だ」
確かに、工場でバランスのとれた食事を出すことで、日本の産業を後方から支援している。
そう感じてから、給食事業を“男子一生の仕事”と位置づけ、この事業に没頭していった。飽きられない為にどうすれば良いかと考えた結果、日本初の「豊富なメニューから選べるカフェテリア形式」を創り出した。困難な試みだったが、会社は大きく発展していった。
カラオケ事業への参入も“挫折”がきっかけだった。
技術向上のため、同じフード業界のレストラン事業へ参入した。しかし、運営ノウハウなどが全く異なっており、見事に失敗してしまった。空き店舗をそのままにしているわけにはいかない。だからカラオケを始めた。
血のにじむような努力・研究を重ねた結果、「レストランカラオケ」という分野を確立させた。どんな失敗や挫折でも“志”を持って臨めば必ず道が開けると、長らく経営者をして実感しました。
現在は、“このままでは日本が危ない”という思いから、真の民意を政治に反映させるためにソーシャルメディアの力を使い、「希望あふれる日本へ」という国民運動を進めています。
まずは、国に影響を与えうる100万人の賛同者を集めることを目標としています。