彼女の母親が自宅でピアノ教室を開いていた影響で幼い頃から自然にピアノに興味を持ち、2歳でピアノを習い始めた。幼稚園生の頃から将来の夢はピアニスト。ピアノは生活の中に当たり前にあるもので、話すのと同じような感覚であるという。東京藝術大学音楽学部器楽科を卒業後、ドイツのベルリン音楽大学へ留学。
在学中にカルレット国際ピアノコンクールで優勝し、卒業後にはブラームス国際音楽コンクールピアノ部門で優勝を果たした。音楽の栄光の道を順調に歩んできたように見える彼女だが、藝大入学前に1年の浪人を経験している。
また、反面教師のような父親の代わりに5歳上の兄が面倒をみて、たくさんのことを教えてくれた。
ピアノを理由に小学生でいじめにあった時の「出る杭は打たれるけれど、飛びぬけていたら誰も打てない」藝大入学後の「藝大の外の人間と付き合いなさい」兄からの言葉は彼女の人生に大きな影響を与えた。二つの国際コンクールでの優勝という輝かしい実績を残していながら、自分は大きな挫折も成功もまだしていないと語る。その言葉の意味とは?スゴい人がピアノを通して学んだ事を披露していただきましょう。さあ・・・ピアニスト結城奈央様の登場です!
「辞めたくなるのを堪えた後は、良い事が待っている」
日本でもドイツでも大学を辞めたいと思った時期がありました。
日本では入学から2年生まで人間関係がギスギスしていて先生との相性も良くなく、せっかく憧れの藝大に入学したのに、入ったからには卒業しなければ、という気持ちだけで通い続けていました。
3年生になると歌の伴奏を通じて新しい友人が増え、4年生ではドイツ留学経験のある先生に出会い、最後の1年間は学校生活もレッスンも本当に楽しかったです。留学も途中で辞めようと思った時期がありました。
カルレット国際ピアノコンクールへの応募を決めて少し経った頃、大好きだった先生がドイツを離れてニュージーランドに行く事を知りました。それまでにも何度かコンクールには挑戦していましたが、殆どが一次予選落ち。
それでも、「最後に何か結果を残さなければ大好きな先生に忘れられてしまう」という思いで臨みました。
コンクール前日、先生から「本番では今日教えたことだけ守りなさい」と言われ、本番は順位のことを考えず「決勝でこの曲を弾かせてくれてありがとう、そして何より先生これまでありがとう」という気持ちで演奏をしました。
欲が無かったのが優勝という結果につながったのだと思います。
結局先生はドイツを離れてしまい、先生が居なければ意味が無いと退学することも考えました。
しかし、母と先生から卒業を勧められ、最後の半年間はピアノ科主任の教授に習いました。
その先生の選択が良かったのか、リサイタルや学内演奏会などの機会をたくさん頂き、私にとって大事な経験となりました。ベルリン音楽大学卒業後、日本に戻ってからブラームス国際音楽コンクールに応募しました。
「落ちてもブラームスの避暑地を楽しめる」と考え、この時も順位は気にしていませんでした。リラックスして演奏できたのが良かったのだと思います。
ただ、この時の優勝は一度目とは違い先生に言われたままに弾いたのではなく、自分で考えて仕上げた音楽を認められて「これで良いよ」とピアニストとして活動していくための合格をもらったように感じたのです。
音楽の世界は、コンクールでの1位が頂点ではありません。その上にはたくさんの巨匠がいます。
目標は、尊敬する二人のピアニストと同じように80歳までプロとして演奏を続けていること。
その為の実績と技術を身につけるため、これからもコンクールに挑戦し、多くの方々に生きる喜びを感じて頂ける音楽家になれるよう頑張ります。