作詞・作曲家からアーティストへと転身し紅白出場まで果たしたスゴい人!

BoAなど数々のアーティストへ楽曲を提供していた作詞・作曲家がアーティストに転身を果たした。

しかし現実は厳しく、デビュー後の3年間は観客がまばらな路上やクラブで歌う日々が続いた。

そんな中、2006年に『気分上々↑↑』が大ヒットを記録し、一気にスターダムにのし上がった。

なぜ、作詞・作曲家からアーティストへと転身を図ったのか?

さあ・・・mihimaru GTmiyake様の登場です!

 

「一歩踏み出す勇気を」

今まで一番辛くて勉強になったのは、『気分上々↑↑』がヒットするまでの3年間ですね。

mihimaru GTとしてデビューするまでは、作詞・作曲家として活動し、BoAなど数々のアーティストへ楽曲を提供していました。

昔から流行に敏感で、自分にしか作れないモノを意識して音楽を作ってきました。

ある時、デモテープの歌入れを担当してくれたのが、今のメンバーのhirokoでした。

当時、ラップを自分の歌としてメロディアスに歌える女性アーティストはなかなかいませんでした。

hirokoの歌を聴いた瞬間に『この人だっ!』と思って、mihimaru GTを結成することになりました。

バンドを結成したものの現実はなかなか厳しくて、デビュー後の3年間は観客もまばらな状態で、ストリートライブをしたりクラブで演奏したりと地道な活動が続きました。

ライブをするにも単独ではなく、複数のバンドと競演する対バン形式がメインでヒット曲がなかなかできません。

3年間という時はものすごく長かったですが、『自分は音楽が本当に好きだということ』を再認識できました。この想いが無かったら乗り越えることができなかったと思います。

それまでの辛かった時期が嘘だったかのようにうまくいく時は色々と良いことが重なり、『気分上々↑↑』はCMのタイアップ も決まり、大ヒットしました。

自分がなぜうまくいったのかを客観的に見ると、一歩踏み出す勇気をいつも持っていたからだと思います。

また、どんなことでもまず表現してみて、周りの人からのフィードバックの声を聞くことを大切にしてきました。

オリジナリティって周りの声を無視するということではなく、相手が「どう受け止めているか?」を考えて、自分にしかできないものを作り出すことだと思います。

音楽に限らず、自分を表現することって恥ずかしかったりしてなかなかできないかもしれませんが、表現して披露すれば、周りの人はきっと親身になってポジティブな意見をくれるものです。

皆さんも好きなことに情熱を注いで、勇気を持って一歩を踏み出してください。

動き出せば、周りは協力してくれますよ!

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