世界で唯一“無聴力・盲目”でウクレレを奏でるスゴい人!
私たちは五体満足の状態を当り前だと思い、甘えすぎているのかもしれない。
見えなくても聞こえなくても、ウクレレの綺麗な音色を奏でるスゴい人!がいる。
好奇心旺盛に様々なことにチャレンジをする姿が人々に勇気を与え、
彼女はジャパニーズ・ヘレンケラーと呼ばれる。
さあ、中塚道代様の登場です。

「私は障害を持って生まれてよかった」
生まれつき耳が聞えず、さらに先天性若年性リウマチ関節症。
だから一生歩けないと言われ、毎日母親に抱っこしてもらい通学していました。
目の病気は小学校に入学する時の身体検査で分かりました。
網膜色素変性症。
小学生の間に失明すると言われましたが逆に良くなったりしました。
しかし28歳で失明・・・
見えなくなった夜のこと。私は母親と祖母を呼び、
「これから私を助けようとか可哀想とか絶対に思わないで下さい。私はこれから光を見つめて生きていきます。」
と伝えました。
小さいときからハンデをもらうのが嫌いで、常に友達と同じ条件を望みました。
遠足でもマラソンでも母親が私の足代わり。
絶対に歩きたかったので歩行器を使い、努力して小学校1年生で初めて立つ事が出来ました。
服を着るのも時間が無いからと、母親が着させる時がありましたが、遅刻したとしても全て脱ぎ、自分で着るような子供でした。
高校までは聾学校に通い、卒業後は電車とバスを乗り継ぎ、2年間の専門学校通学をして料理、和裁、洋裁を習いました。針の穴に一発で糸を通せるようになり、ニットも自分で編むことができます。今日のニットも自分で編んだものです。
陶芸もしますし、ドイツにメール友達もいます。それに水泳だって出来ますよ(笑)。
聞こえはしませんでしたが、音楽が好きで通っていた幼稚園の先生がピアノを弾いてる時、ピアノの下に潜って体に響く感じが好きでした。
目が見えていた頃字幕付きのテレビを見て楽しかったけれど、今は何も見えないのでつまらない。
ひとりで出来るものとしてウクレレを始めました。
音は腕に響く振動で感じ、メトロノームを足の親指に置きリズムを取ります。
目が見えていた頃、大好きだった坂本九さんの「上を向いて歩こう」がどうしても弾きたかったのです。“上を向いて歩こうよ、涙がこぼれないように・・・”の、あの歌です。
私は実の母にさえ生涯、一度も涙を見せたことはないのだけれども。
私がこうやって色々なことを楽しんで明るくいられるのは家族のお陰。私は家族が凄く大好きです。
夢は結婚して子供を作りおばあさんに曾孫を見せる事。
旦那様募集してます(笑)。

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