世界中のアーティストやクリエーターと映像やイベントをプロデュースするスゴい人!

好奇心の芽を摘まない

入社1年目で舞い込んだ運命的な案件

あなたのやりたくない事は何?

カフェのような明るい雰囲気に、心が踊るような遊び心たっぷりなものがたくさん置いてあるオフィス。
本日登場するスゴい人は、エグゼクティブプロデューサーとしてエミー賞をはじめ映画やコーポレートビデオの映像制作で数々の受賞歴があり、政界人や大手企業代表のスピーチを監修・指導なども手がけている。
映画「アルマゲドン」のマイケル・ベイ監督をキャスティングし、アサヒビールのCMを手掛けた事は誰もが驚いた!
世界中にいるアーティストやクリエーターと繋がるルートを確立し、国内外の映像制作やイベントプロデュースを多く手掛けている。
子どもの頃から培った好奇心と探究心を活かし、常に新しい企画を生み出している。
彼はどのようにして、自分の興味から世界を広げるまでに至ったのだろうか?

さあ…
Empire Entertainment Japan株式会社
代表取締役社長 セオドール・ミラー様の登場です!

クリエイティブ兄弟

僕は3人兄弟で、とても仲の良かった従兄弟も入れると4人兄弟のようでした。
その4人の今の職業は、長男が当社のニューヨークの社長・プロデューサー。
次男が映画監督。
三男の私が、ここ日本の社長・プロデューサー。
四男(従兄弟)も映画監督。
同じ環境に育った兄弟全てがクリエイティブな職に就いています。
これは全て両親の影響です。
父は新しいものに目がなく、必ず最初に新製品を購入していました。
何の計画もなく買ってくるので、すぐに僕たち兄弟の遊び道具になりました。
母は画家で、1枚にすごく時間をかけて作品を完成させるじっくりタイプ。
父からは好奇心を、母からは探究心を学び、興味を持ったものは遊びながら徹底的に掘り下げていく子ども時代でした。

好奇心の芽を摘まない

父が買ってきたものは様々でした。
テープが入らない時代の家庭用ビデオカメラでは、兄弟で寸劇をしたり、レゴを使ってスターウォーズを再現して撮ってみたり。
新しいパソコンが発売された時には、遊びながらプログラミングを覚えたりしました。
好奇心と探究心を持つことでいつも新しい発見を楽しんでいました。
ある日、友達の家族とレストランに行った時の話。
友達が曇りガラスにいたずら描きをした所、その子のお母さんがいたずら描きをしてはダメだと叱ったのです。
そうしたら私の母はそのお母さんに対して「子どもの好奇心や発想力を止めるのは良くない」と激怒したのです。
子どもが何かに興味を持ち、行動した所から創造的なものが生まれるのです。
一番してはいけないのは、その創造力を絶つことだと母は教えてくれました。

日本への興味

大学1年の時に日本語を勉強し始め、日本に興味を持ち、夏に短期でホームステイしました。
特に禅や宗教、建築に興味があり、実物を見たくなったのです。
来日して日本人の物に対する考え方、文学や建築、生活習慣などに直接触れて、全てが刺激的で新鮮でした。
日本に興味を持った僕は、大学3年時に1年間日本に留学し、卒業と同時に日本の会社に就職しました。以来ずっと日本にいます。

入社1年目で舞い込んだ運命的な案件

大学卒業後、電通に入社しました。
電通の歴史の中で僕が西洋人初の正式採用でした。
3ヶ月の研修を経て営業に配属され、本田技研工業株式会社さんの担当になりました。
アメリカ以上に日本は広告代理店のステイタスが高く、ハイレベルな仕事もさせて頂き、何もかもが新鮮で面白くて仕方がなかったです。
英語を話せることで海外案件に対するサポート依頼も沢山来ました。
アメリカの知人から、今度日本法人を立ち上げるのでマーケティングの相談に乗って欲しいと頼まれたのが、パソコンメーカーの“ゲートウェイ”。
会社にアメリカ出張の許可を取りゲートウェイを尋ねると、会長と社長が出てきて日本進出に関して僕に一任してくれたのです。
まだ入社1年目の僕が数億円の仕事を取ってきたので社内で驚かれました。
本田とゲートウェイ、他にも数社担当していたので相当な仕事の量で、かなり身体はつらかったですがやり甲斐はありました。
2年経った時、ゲートウェイからヘッドハンティングがあり、電通を円満退社し、ゲートウェイのマーケティングの責任者になりました。

ゲートウェイ時代

ゲートウェイに移ってからは、全て自分で作り上げないとならないのでとにかく必死に走り続けました。
1年で7年分の仕事をしているくらいの量とスピード感でした。
入社時は100名前後だった社員が4年後には600名ほどになり、売上も10倍になっていました。
急激に伸びていた時期です。
入社した時の日本法人の社長はカリスマ性があり尊敬していましたが、その方が辞められ新しい社長が来ました。
それにより社風もガラッと変わり、仕事の進め方も僕と合わなくなりました。
我慢してまで仕事せずとも色々な企業からオファーを頂いていたので、その一つであったライブドアの社長になりました。

一度立ち止まってじっくり考える

29歳でライブドアの社長になり、その2年後、社会人になって10年が経った時にちょっと立ち止まってみようと思いました。
必死に休みなく走り続けてきたので、1年くらい仕事から一切離れ、色々な事をやってみようと思ったのです。
今までやりたくてもできなかったことなど、興味があることを次々としました。
飛行機の操縦免許を取ったり、スペースシャトルの打ち上げを見に行ったり。
今振り返ってみると、好きなことと嫌いなことを探していた時期だったと思います。
大人になると、子どもの時のように自分の好奇心や探究心を素直に行動に移すのは難しくなりますが、本当に自分が心から求めるものは何かを考える時間は大切です。

あなたのやりたくないことは何?

僕の友人もそうですが、成功している人には共通点があります。
既成概念がなく、常に探究心を持っているのです。
オープンマインドになることで色々な発見をしやすくなるのです。
もちろん、嫌な発見も伴いますが、それは良い発見より大事な場合もあります。
僕の会社には常にインターンが5~6人いるのですが、彼らに対してやりたいことを探すのではなく、逆にやりたくないことを見つけるのが重要だと話しています。
これは結構、時間を要するのですが本当に自分がやりたくない!というものがわかり、やりたくないものを削ぎ取って行けば好きでやりたいことが残るのです。
仕事ってやり方によっては絶対に楽しくする方法はあるのですが、自分の性格などで受け付けられないものがあれば、早く発見することです。
自分がハッピーな気持ちで仕事をしていると仕事自体も順調になり、更に素敵な人とも巡り会うようになります。

僕のクリエイティビティを実現させる

イベントをメディアとして考えるのは面白いと思いNYの兄と話し日本法人を設立しました。
展示会の中の仕込みなど小さい仕事から始まり、大きな仕事としてはローリングストーンズの冠スポンサーを決めることもできました。
舞い込んだ仕事をどういう風に料理するかが僕の価値であり、人に記憶されるコンテンツをデザインするのが上手いのだと思います。
実は、誰もが知っている大手企業の素晴らしいポジションのお誘いもあったのです。
しかし、大きな座組に入るのと、怖いけれど常に自分のクリエイティビティを試し続けるのとでは、自分の性格上どっちが良いか冷静に判断できたのも、1年間焦らずじっくり考える時間を作ったからこそなんです。
仕事に僕の遊び心を詰め込んで、多くの人が喜んでくれるコンテンツをこれからも沢山生み出していきます。

取材を終えて

ミラーさんは本当に少年の心を持ち続けている素敵な方でした。
ミラーさんはインナーボイス(心の声)を大切にし、興味があることに対して純粋に向き合って来られた。
だからこそ、他の方には真似ができないクリエイティブな作品が次々と生まれるのだろう。
きっと、ミラーさんと一緒に仕事をしたら楽しいのだろうと思えるぐらい、心が常にワクワクしている方でした。

プロフィール

セオドール・ミラー
1971年米国ニューヨーク生まれ。
ニューヨーク大学在学中、早稲田大学に交換留学生として来日。
大学卒業後、1994年に(株)電通に入社。
1996年から日本ゲートウェイ(株)にてマーケティング マネージャーおよびストラテジック プランニング ディレクターを歴任後、2000年に(株)livedoorの代表取締役社長に就任。
2005年Empire Entertainment Japan㈱を設立。
エグゼクディブ プロデューサーとして、国内外のトップブランドのイベント、PR、映像制作をアジア、アメリカ、ヨーロッパにて行う。
映画製作も手がけ、エグゼクティブ プロデューサーを務めたドキュメンタリー映画 『The Cruise(1998)』でエミー賞をはじめ数々の賞を受賞。
兄は、ブラッド・ピット主演映画 『マネーボール (2012)』、『フォックスキャッチャー
(カンヌ国際映画祭監督賞受賞 2014)』で監督を務めたベネット・ミラー。
妻は、モデル兼タレントのアン ミカ。

◆エンパイア エンターテインメント:http://www.empireentertainment.jp/
◆エンパイア アーティスト http://www.empireartists.jp/

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