日本で初めてインターナショナルバーテンダー資格を取得したスゴい人!

本日登場するスゴい人は、バーテンダーとして約70年間活躍を続けるスゴい人。
彼のバーテンダーとしての仕事の始まりは、戦後間もない頃。米軍基地の中にあるBARだった。
今年90歳を迎えるが、今でも現役で平日は毎日お店に立ち、シェイカーを振っている。
“伝説のバーテンダー”と呼ばれ、彼が作るカクテルは世界一だとも言われている。
世界で尊敬されるマイスターバーテンダーでもあり、世界中の人が彼の腕を信用し安心してお酒が飲めるという。

彼が常に心がけていることとは?

さあ…
永楽倶楽部
バーテンダー
福島勇三様の登場です!

「氷に聞く」

鉄道職員だった父が陸軍航空士官学校の高等官と知り合い、私は士官学校に入学。
昭和20年には戦争が激化して、私も陸軍特別幹部候補生として航空隊に志願し、ゼロ戦も整備しました。
終戦後の職がない時代に、米軍基地で元整備士を探していると知り、基地を訪れると洗濯屋に配属と決まりました。
しかし、3日後に初出勤をすると、その日の朝にバーテンダーが悪さをして辞めたので急遽バーテンダーに回されました。これが、運命でした。
英語は基地内の子どもから教えてもらい、カクテルのレシピは上司やお客様である米将校が丁寧に教えてくれました。
5年間は美味しいカクテルは作れず、6年目頃から徐々にGood、Very good、Perfect、Wonderful、Beautifulと言われるようになりました。

20年近く基地内のBARを異動しながら勤め続け、箱根の強羅ホテルが米軍の管理下に入った時に声を掛けられ強羅ホテルへ。
そこで10年働き、フランス料理店「シド」のオープンの際に声がかかって移り、その後現在の永楽倶楽部へ。
私は自分の意思ではなく、いつも誰かが気に掛けてくださり、働く場所を移動して来ました。

今でもお店でユニフォームに着替え、蝶ネクタイをするとスイッチが入ります。
シェイクしている時は中の氷の状態と材料の状態をイメージし、常に指の腹を通じて温度を感じ、私の“感ピューター”が「よし!」というのが出来上がりの合図です。
その為、毎日カウンターに入り最初にする事は、氷を手で触り、いつも同じ温度の氷を通して自分の体調を診るのです。自分の指の腹で感じる温度を、その日の体調に合わせるのです。
むかし飛行機整備をしていた頃、操縦席に座り、毎日変わる気圧計を合わせていた習慣がいまだにあるのでしょう。
常連さんが入店し目があった時に、その方の体調がどうかを診て、体調に合わせてわずかに味を変えます。
お客様はいつも同じで美味しいと仰いますが、もし本当にいつも同じように作っていたらお客様は体調次第で味覚が変わるので味のバラつきがあると評価されるのです。

バーテンダーは私にとってやり甲斐に満ちた天職です。
バーテンダーは空気と一緒、無いと困るし、あって当たり前。
話し上手ではなく、聞き上手でなければならないのです。
これまで沢山の人に守られ、助けられ、励まされ、引っ張りあげていただき今日まで来ました。
バーテンダーに終着駅はありません。それだけやり甲斐のある仕事です。
今でもまだまだ修行中です。これからも精進します。

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