【篠塚建次郎】パリ・ダカールラリーで日本人初の総合優勝を果たしたスゴい人!

篠塚建次郎

現在、レクリエーショナル・ビークル(RV車)は当たり前に日本の公道を走っているが、ある日本人の雄姿を目にするまで日本でRV車は見向きもされなかった。
地球の裏側で繰り広げられる彼のレース結果は、毎朝テレビで放送された。
そして見事、日本人初の総合優勝!
日本車の技術の高さと日本人のチャレンジスピリットに感動した国民は、こぞってRV車を買い始めた。それが、パジェロである。
モータースポーツを通して車の販売台数が上がるという実績は、日本の自動車業界に旋風を巻き起こした。
さあ・・・ラリードライバー篠塚建次郎様の登場です!

「ラリーが大好き」

10歳まで生きられればいいと思われていたぐらい病気がちな子供でした。
乗馬クラブに通い、一般的な子供ぐらいの健康状態となりました。
自転車、バイク、そして四輪と興味を持ち、友人の軽自動車でドライブを楽しんでいました。
大学時代、友人に一緒にラリーに参加しないかと誘われ、はじめてラリーという言葉を耳にしました。
土曜の夜に東京を出発し、日曜の朝に富士五湖に到着するルート。
友人が運転し自分がナビゲーター。
この時、林道の砂利道で横滑りした車体をハンドル捌きで立て直した瞬間、身体の奥からゾクゾクして病みつきになりました。
この快感が全てのはじまりでしたね。
仲間と整備工場に集まり、自己流でラリー車を作り月2~3回レースに出場。
レースで三菱の方と親しくなり、三菱の車に乗ってみないかと声を掛けて頂き、ナビゲーターを1年経験。
大学4年生の時にはドライバーとなり連戦連勝でした。
ラリードライバーを続けるのが夢だったのでそのまま三菱自動車に入社しましたが、当時は三菱にラリードライバーという職が無かったので、通常の社員雇用でした。
平日は普通に仕事をして土日にラリーをする生活。
3年後にオイルショックとなり、国内のラリーレースは全て中止。
ショックでした。
海外レースへ向けて技術向上に努めたのが幸いし、75年、憧れの海外レースに参戦。
76年のサファリレースでは日本人で初めて完走し、6位入賞。
アメリカで厳しい排ガス規制が決まり、アメリカメーカーはお手上げ状態。
HONDAが基準をクリアーしたのを皮切りに日本メーカーは一気にアメリカ全土で販売数を伸ばしたのです。
この開発で人も金も使い果たした日本メーカーは、ラリーから撤退。
まさに八方塞りです。
それからは、サラリーマン生活を続けながら毎年チャンスを待ち続け、8年が経過した頃、パリダカのレースを社員が聞きつけ、三菱がパジェロで参戦し、85年に優勝しました。
しかし、ヨーロッパでは話題になるが日本では盛り上がらない。
それは、ドライバーが外国人だったからです。
社内に日本人ドライバーがいるではないかと私に白羽の矢が立ち、86年にパリ・ダカールラリーで再起し完走!
97年には優勝する事ができました。
帰国後知らぬ間に有名人になっていましたね。
大きな事故も3回しましたが、ハンドルを握る楽しさは全く変わりませんでした。
どんな事故にあっても、レースで結果が出なくて悔しい思いをしても、
『ラリーが大好き』
その気持ちだけは、ずっと持ち続けています。

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