【八神 純子】ハイトーンヴォイスと豊かな声量で聴く人を魅了するスゴいシンガーソングライター!

八神 純子

16歳の頃、初めて作曲した「雨の日のひとりごと」で第8回ポピュラーソングコンテスト優秀曲賞を受賞、第5回世界歌謡祭にも出場。
高校3年生の頃にはチリの国際音楽フェスティバルにも参加するなど国内外で活躍した。
20歳の時に歌手デビューを果たし、“みずいろの雨”が60万枚を超える大ヒットを記録した。
その後も“ポーラー・スター”“パープル・タウン~You Oughta Know By Now~”など立て続けにヒット作を発表。
一躍スターへと上り詰めた。
しかしレコードが売れず、コンサートをしてもお客さんが入らないという苦しい時期に直面し、コンサートにお客さんが入らないこともヒット曲を作れないこともみんな自分の責任だと自分のことを責め続け、落ち込んでしまったという。
その経験を乗り越えて手にした、ある大きな気付き。
彼女はどのようにして、苦しい時期を乗り越えたのか?
さあ・・・歌手 八神純子様の登場です!

「幸せは自分で決める」

“みずいろの雨”が売れたのが20歳の時。
下積みも無くいきなり売れてしまった。
すごくラッキーだったんですよ。
ずっとアメリカに行ってみたくて27歳の時に結婚を機にアメリカに渡りました。
それから出産。
子育てに専念することになりました。
アメリカで「純子は何をやっているの?」と友達から聞かれたときに、「日本で音楽を作っていたのよ」と答えていたんだけど、だんだんとそれが大昔の話のように思えてきて怖かった。
子供たちは大きくなって離れていくし、「自分は何なのか」と考えた時に、歌うことが自分のアイデンティティなんだと再確認しました。
2010年頃にタイミング良くビッグバンドのブルースカイオーケストラから一緒にライブをする話が舞い込んできて、本格的に活動を再開することにしたんです。
東日本大震災が発生した当初は自分に何ができるかわからなかったけど、東北に何度も足を運んで、ラジカセのカラオケでもアカペラでも、どこでも歌った。
「元気をもらいました」と言ってもらえると、シンガーとしてこれほど嬉しいことはなかったから、どんな疲れも吹き飛びました。
少しでも何かの役に立ちたい、そう思って活動していました。
レコードが売れなくなってライブにお客さんが半分も入らなくなった時、レコードが売れないのもヒット曲を作れないのも全部自分の責任だと、自分自身を責めていました。
辛かったのは、その頃経営していたレコーディングスタジオが不振に陥って手放さざるを得なくなったことだったと思います。
誰とも話さず、塞ぎこんでしまいました。
15年くらい前にジョギングを始めました。
走り出すと、余分な考えがどんどん取り除かれていって頭の中がクリアになっていくんです。
毎日繰り返す中で「どうせ、人間なんて一人で生まれて死ぬときも一人なんだから、自分が自分のベストフレンドでいるべきだ」と気づいていったんですね。
それからは、自分の笑顔を左肩の上に掲げて太陽のようにサンサンと降り注いでいる絵を想像するようにしました。
すると、少し辛いことがあっても「大丈夫」と思えるようになって、精神的な好調、不調の波が無くなったのです。
でも、それが出来るまでには5年かかりました。
成功することが幸せじゃない、自分の幸せは自分で決めたところからスタートするんです。
このことを、たくさんの人に知ってもらいたいと思います。

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